『2013平和行動in沖縄』に参加して

(随時、更新いたします

 0T(自治労)
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KK(自治労)
 6月23日〜25日の3日間、沖縄県での連合平和行動に参加させていただきました。
私は、沖縄県を訪れるのも初めて、広島・長崎も訪れたことが無く、戦争に関連した大規模な施設を訪れることも初めてでした。

 今回、一番印象的だったのが、ひめゆり平和祈念資料館内にある、実物大で再現された伊原第三外科壕(ひめゆりの洞くつ)です。このような場所で、ガス弾攻撃によって多くの犠牲者がでたと思うと鳥肌が立ち、将来に夢や希望を持った多くの学徒が亡くなったのかと思うと胸も締め付けられました。

 23日の「2013平和オキナワ集会」では、佐藤 優氏から「在沖縄米軍基地と構造的差別」と題して基調講演を聞きました。不発弾が今も年間800〜900発程処理され、当時の基地の土壌汚染、戦争が終わった現在でも戦争に関連した被害が続いています。安全保障が、基地を抱える場所だけの問題ではなく、国としての問題であることを強く感じました。
 その後の平和式典でのあいさつでも、沖縄は本土進攻への時間稼ぎのための捨て石だった、軍人より住民の方が多く亡くなっている、日本兵に殺されたり、集団死を強いられたりした住民もいた。全戦没死者数約20万。沖縄県民の約4人に1人が亡くなった。軍人は住民を助けてくれなかったということを聞き、いったい何のための軍人なのか、何のための戦争だったのかということを思い、現在、進められようとしている憲法改正の一つにある国防軍についても、何のための国防軍なのかということをきちんと学びたいと思いました。
 夜の平和交流会では、琉球舞踊・沖縄民謡を鑑賞しながら、岐阜県・愛知県・三重県からの参加者らと交流しました。連合の行事に参加することも初めてだったので、自治労以外の産別からの参加者との交流は普段とは違う刺激になりました。

 翌24日のピースフィールドワークでは、連合沖縄青年委員会の方にピースガイドを務めていただき、南部戦跡を回りました。
 最初に訪れた旧海軍司令部壕では、当時、人力でくわやつるはし等を使い掘られた跡が通路一面に見られ、幕僚室の壁には、幕僚らが手りゅう弾で自決した際に削られた痕跡などが見られました。この沖縄が、第二次世界大戦で唯一の地上戦が行われた場所だという事を改めて実感しました。
 次の嘉数高台(沖縄戦最大級の戦闘の1つとしても知られるほどの激戦であった嘉数の戦いが繰り広げられた場所)の展望台からは普天間基地が見え、残念ながらオスプレイを見ることはできませんでしたが、轟音と共に基地から飛び立つ軍用機がこんなにも近くを飛んでいるんだ、これが日常なんだということに驚きました。
 次に訪れたひめゆり平和祈念資料館は、行政からの援助が無く建てられていると聞きました。行政からの援助があって建ててしまうと、本当に伝えたいことが伝えられなくなるからだそうです。それにもかかわらず開設しようとした際に、国から待ったがかかったそうです。事実を事実のまま伝えることが正しいはずなのに、それができないということは矛盾していると感じました。資料館には、亡くなった方々の顔写真が壁一面に掲示されていて、どのような最期だったかも書かれているのですが、まだ10代で幼さも残る女の子が手りゅう弾で自決とは、読んでいて目頭が熱くなりました。 
 最後に訪れた平和祈念公園の平和の礎には、今なお戦没者が刻銘され続けています。韓国人戦没者慰霊碑も訪れ、強制連行され戦死された事実、日本は被害者であり、加害者でもあることも感じることが出来ました。平和祈念資料館から見える青い空、青い海、当たり前の日常がたくさんの方の犠牲の上に成り立っていることを強く実感しました。
 ピースフィールドワーク終了後は、県庁県民広場にて「在日米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動として集会を行い、集会後国際通りをデモ行進しました。

 沖縄には基地があるけど、その分国から補助金なり援助なりしてもらっているし、基地があることで生活していける部分もあるし、やむを得ないという思いを多少なりとも持っていた自分が恥ずかしくなりました。同じ日本に住んでいる仲間が苦しんでいます。現在沖縄基地の7割超を占有する海兵隊ももともとは岐阜県各務原市と山梨県富士吉田市、山中湖 村、忍野村などに分散配置されており1956年に沖縄へ移転しました。もしかしたら、この岐阜県にも基地があり、僕たちも同じような苦しみを感じていたかもしれません。他人事ではありません。
 これから僕に子供が産まれたときに、子供から「大人はどうして戦争をするの?」と聞かれても説明ができません。説明ができないことをやらないように、今は何ができるかわかりませんが、自分にできる平和に対する取り組みをこれからやっていこうと強く決意しました。

 最後になりましたが、今回の行事を計画・運営していただいた連合沖縄の皆様、今まで平和ということが当たり前であった自分に、あらためて平和とは何かということを考える機会を与えていただいた連合岐阜及び自治労岐阜県本部の皆様、快く送り出していただいた職場の皆様に感謝したいと思います

HH(UAゼンセン)
 私自身、初めての沖縄ということで、観光気分と平和活動をとても楽しみにしていました。
 現地に入り、海軍司令部豪、ひめゆりの塔、平和祈念公園を訪れ、戦争の悲惨さを学び、絶対起こしてはいけないものだということを胸に刻みました。
 わたしの中では戦争は過去ものだと思っていましたが、家族や友人を亡くされた方、戦場となった沖縄県民の方にとっては忘れられないものであり、戦後68年になる現在も心の中に残っているのだと感じました。
 今後、米軍基地負担や、日米地位協定のありかたについて、私たちは、他人事でなく深く関心を持っていく必要があると思いました。
 岐阜へ帰って、職場や家族、友人に戦争の悲惨さ、米軍基地問題、日米地位協定等について、今回の体験を伝えていきたいと思います。

MS(JAM)
 太平洋戦争における沖縄戦についての私の知識は、中学の歴史の時間に勉強した程度のもので、具体的な内容についてはほとんど記憶にありませんでした。
 しかし、『2013平和行動in沖縄』に参加をして、改めて太平洋戦争で沖縄に何が起こったのか、そして現在に至るまでの沖縄の様子を知ることが出来ました。

 今回の平和行動の中でも特に印象に残ったのは、ピースフィールドワークで巡った沖縄戦の戦跡でした。連合沖縄青年委員会の方に詳しくガイドをしていただきながら、実際に自分の目で見たものは、教科書に載っている戦争についての記述だけでは絶対に分からない想像を絶する悲惨な事実でした。
 ひめゆり平和祈念資料館では、楽しく学生生活を送っていた学生たちが学徒隊に動員され、激しい戦闘に巻き込まれていき大勢の学徒が亡くなっていった様子。学徒自身が書き残した文章には、次々と仲間が死んでいった状況や当時の心情が記されてありました。
 平和祈念公園では、『平和の礎』に沖縄戦で亡くなった約24万人もの人たちの名前が刻まれていました。平和祈念資料館では、戦場で犠牲になった家族の写真や火炎放射器により焼死した兵士の写真が展示してあり、とてもショックを受けました。
 米軍との激しい戦闘が行われた嘉数高台に登り宜野湾市を見下ろすと、市の面積の大半を普天間基地が占めており、今でも沖縄は苦難を強いられているということを目の当たりにしました。

 戦後68年が経ち戦争を体験した人たちは高齢になり、直接話を聞ける機会は少なくなっていきます。しかし、その方たちが身を以て体験した悲劇は、2度と繰り返すことが無いように後世に語り継いで行かなければなりません。平和行動に参加した私たちに出来るのは『沖縄をはじめとした数多くの犠牲の上に現在の生活が成り立っていること。そして、今もなお大きな負担を掛け続けていること』を職場の仲間や友人、家族に伝えていくことです。
 私たち一人ひとりの力は微力ですが無力ではありません。連合に結集する私たちが力を合わせれば、必ず平和な世の中を作っていけると思います。共にがんばりましょう。


 TH(JAM)
 小さな頃、よく祖父に戦争の頃の話を聞かされていた私にとって、今回の平和行動in沖縄で得た体験はとても感慨深く、忘れることの出来ない思い出になりました。各所を巡り、祖父の話しや教科書の中でしか見た事の無かった戦争の悲惨さや苦しさなど、当時の資料・写真・映像などで感じる事ができたからです。

 今回の平和行動で巡った各所、色々と思う事はありましたが、その中でも特に印象深かったのは、旧海軍司令部壕とひめゆりの塔です。
 旧海軍司令部壕は、自然洞窟である壕を旧海軍司令部として使用していた物です。しかし実際おとずれてみて、「こんな所が司令部だったのか」と驚きました。なぜなら見学者が100人程入っただけでも狭く息苦しく圧迫感があり、しかも所々水が染み出している為、湿度が高いという、居住には適していない場所に、負傷者を含んだ4000人ほどの兵士を収容せざるを得なかったという事に当時の厳しさを感じさせられました。
 ひめゆりの塔ではひめゆり学徒隊の悲しい事態を知る事が出来ましたが、最も心に残ったのは、戦争中のことではなく、戦争が終わってからの話でした。
 戦争も終焉し、無事生存された学徒隊の方はその当時、「私だけ生き延びてよかったのだろうか」・「生き延びてしまって申し訳ない」・「生き延びた事が恥ずかしい」という思いをずっと持っていたと証言されました。「私も死んだほうが良かったのでは?」とも。私にとってこの言葉は衝撃的でした。
 このような思いを持ってしまう様に教育されてきた戦争当時の異常さを恐ろしく思います。今でも生き延びた学徒隊の方は当時の事を夢見るそうです。彼女たちの中では未だに戦争は終わっておらず、終わる事は無いのかもしれません。

 最後に、沖縄の人は平和に対しての思いが他の県に比べ、大きい様に思います。それは戦争当時の様子を伝える為の跡地が多数有り、決して戦争の悲惨さを忘れないようにしているからだと思います。ですがそれは、ひめゆり学徒隊の話の時に書いた、「未だに戦争は終わっていない」という言葉が沖縄全体に対しても当てはまるのだと思えて仕方ないのです。

 戦争は悲劇でしかありません。どれだけ月日が経とうが、その傷跡は残ってしまいます。だからこそ、私たちは戦争が二度と起こらないように、たとえ小さな事であっても努力しなければ成らないと今回の平和行動に参加し思いました。
 
 KM(基幹労連)
 沖縄県で行われている平和学習(教育)を全国展開されると良い。
 地上戦は沖縄でしか無かったが、空爆や艦載機からの攻撃は多くあったと聞いている。その経験談と合わせて戦争は悲惨であるという平和学習を増やして欲しい。

 各施設で体験談を読み始めると最後まで読むのが大変でした。
 また、普天間基地が見下ろせる所では、基地の周りを取り囲むように民家があり、さらに海岸より小高い方を見ると斜面にへばりつくように民家があり、その間の平らな土地にある広大な基地を見ると、住民たちは不便な生活を強いられていると感じました。

 MM(基幹労連)
 2013平和行動in沖縄の2日目に開催された「ぴーすフィールドワーク」で南部戦跡コースをまわりました。
 まずは旧海軍司令本部壕。
 人力で作られた壕の、規模だけでなく司令官室があるなど、まさに沖縄戦の中心であったことを示す壕でした。滞在時間は少しでも、蒸し暑く感じたこの壕に、4000人の兵が収容されていたことに、ただただ驚くばかりでした。
 次に嘉数高台。
 普天間基地が近くにあり、高台の塔から見ることができました。基地からは、何回も離着陸の練習をしている飛行機が、ニュースなどで見た通り民家のすぐ上を飛行していました。高台の下には幼稚園があり児童たちが元気に遊んでいる上を、です。
 その後、ひめゆりの塔に移動し資料館を見学しました。そこには戦争で亡くなった学生たちのパネルが展示してありました。まだ幼い顔をしている学生たちが戦争の前線で命を失っていったことに驚愕し、何とも言えない気持ちになりました。
 最後は平和祈念公園。
 ここには「平和に礎」があり沖縄線で犠牲となったすべての人々の氏名がたくさん刻まれていました。身内の氏名のところに花を供えてお参りに見えている方々もいました。

 今までの沖縄はテレビや雑誌の影響で「海が綺麗な観光地」というイメージでしたが、「戦争の被災地」というイメージに完全に置き換わってしまいました。戦争の前線であったことは知っていても、より多く得る情報の方に影響されていました。
 今回のぴーすフィールドワークで実際に戦跡を辿り、見て、感じ、今まで以上に「二度と戦争を起こしてはいけない!」と強く思いました。この体験を周りの人たちに伝えたいと思います。
 貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。

 
 IR(電力総連)
 このたび沖縄平和行動に参加させていただきました。

 戦争の悲惨さを改めて認識することができたこと、また、沖縄で戦争があってから68年が経っているそうですが、沖縄県民の方々の「決して忘れることがあってはならない」という意識の高さを感じるとともに敬意を抱かずにはいられませんでした。
 旧海軍司令部壕・嘉数高台・ひめゆりの塔・平和祈念公園を訪れたことで、戦争の残酷さを肌で知ることができたこと、そして今の我が国が平和であることの素晴らしさ、重要性、感謝の気持ちを改めて認識できたことは、戦後に生まれ育ちこの国の平和な現代のみを知る自分にとって本当に貴重な経験をさせていただいたと考えています。

 沖縄には米軍基地の移設問題など県民の生活に影響の大きい課題が残っていますが、これからは私も当事者意識をしっかり持って、平和の大切さなどを少しでも広めていきたいと思っています。
 貴重な機会を与えていただいた連合岐阜に感謝しています。ありがとうございました。


 
 HN(電力総連)
 今回、初めて平和行動in沖縄へ参加させていただきました。
 沖縄を訪れるのは、学生時代の修学旅行以来2度目でしたが、やはり沖縄と言えば、「観光」や「リゾート」という印象が強く、自分自身も普段の生活の中で「戦争」や「平和」について意識が薄いというのが正直なところであり、現地での様々な体験の中で自分の無力さを痛感した2日間でした。

 1日目の平和オキナワ集会では、全国から集まった連合の仲間たちの多さに圧倒されました。また、講演の在沖縄米軍基地の移設問題の中で「どうして辺野古なのか?」「他の都道府県への移設は頭から考えられないのはどうして?」という言葉が大変印象的でした。
 この言葉を聞いた時いかに自分には当事者意識が無く、ニュース等で目にしても他人事としか考えられていないという事に気付かされ恥ずかしくもなりました。
 国土面積のわずか0.6%に過ぎない沖縄県に、米軍基地が集中しているが故に起こる事件・事故などで戦後68年経った今でも県民の方々の生活が脅かされているという事実。
 住宅地のすぐ上空を、戦闘機が飛び交う現状を見るなかで、これは国を挙げて訴えていかなければならない問題なのだと強く感じました。

  2日目のぴーすフィールドワークでは、旧海軍司令部壕・嘉数高台・ひめゆりの塔・平和祈念公園を訪れました。司令部壕内では当時のまま残っている血痕や、壁の手榴弾の爆破痕を目にし、なんとも言えない緊張感がありました。
 また、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館では戦場へ駆り出され、亡くなられた方の写真、戦死した時の状況、生前の様子のパネルが展示されており、1日を通じ戦争の残酷さを肌で感じたと共に、改めて二度と戦争は起こしてはならないという思いが強くなりました。
 これまで「戦争について」といっても、学校の教科書程度での学習しかありませんでした。今回、自分の目で見て感じる事の大切さ、平和の尊さを感じた行動であったと思います。
 また、今回学んだことを、沖縄の方々を思いを風化させてはならないという意識が沸いてきました。沖縄から遠く離れていますが、ピースガイドの方々がおっしゃっていた「戦争はまだ終わっていない!」という言葉を胸に、まずは周囲に伝えていくことから始めていきたいと思います。

 貴重な機会に参加させていただき、ありがとうございました。

KT(情報労連) 
 2013年6月、初めて平和行動に参加させていただきました。
 私自身、沖縄に行くのが初めてで沖縄といえば、食べ物や綺麗な海等、観光地としてのイメージが強く、正直戦争のことやアメリカ軍の基地問題は他人事のように思っていました。しかし今回平和行動に参加したことで自分の考え方や、沖縄に対するイメージが大きく変わりました。

 ぴーすフィールドワークで色々な施設や場所を見学させていただきましたが、私が特に衝撃を受けた場所はひめゆりの塔がある、「ひめゆり平和祈念資料館」でした。
 そこでは当時の戦争で生き残った方の証言のビデオや、若くして亡くなった方々の写真、当時の地獄のような日々が書かれた日記のようなものが展示してあり、今のこの時代では想像できないことばかりで、戦争の悲惨さ、亡くなられた方々の無念さを思うと何ともやりきれない気持ちでいっぱいになり目頭が熱くなりました。と同時にちっぽけな悩みでもがいている自分の小ささに恥ずかしくなりました。そしてこれからの人生を力強く生きていく為の勇気をもらいました。
 
 今回平和行動に参加させてもらって特に感じたことは、アメリカ軍の基地問題もあるように県民の方々が安心して暮らせる環境ではないこと、戦争の傷跡は完全に消えることはないということです。今回の自分が体験したこと感じたことを少しでも多くの人に伝えることが平和行動に参加した自分の役割だと強く思いました。
 今度は是非家族で沖縄を訪れて自分の子供たちにも色々なことを学ばせたり、沖縄の独特な雰囲気を感じてもらいたいと思います。
 
 YT(情報労連)
作成中
 
 SH(自動車総連)
 「沖縄」と聞くと、<観光地>というイメージを持たれる方がほとんどではないかと思います。自分の中でも<観光地>というイメージが強いのですが・・・
 でも今回は「平和行動」として沖縄を訪れるにあたり、やはり観光ではなく、それなりの雰囲気、それなりの取り組みではあるのだろうと感じていました。以前にも沖縄ではありませんが、長崎の平和行動に参加させてもらったときに、実際に戦争を体験しているところは、その場の雰囲気というか空気が違っていたのを今でも鮮明に覚えております。そういったことから、今回の沖縄についても、いろいろな活動に参加させてもらい、やはり岐阜にいては体感出来ないことを沢山体感することが出来ました。

 戦後68年経った今、私たちに出来ることは何でしょうか? 68年前日本国全ての人が戦争という出来事に翻弄され、その時代に流され、幾つもの尊い命が奪われました・・・ 「国のために命を奉げる」その当時の時代では当たり前のことだったのかもしれません。現代に生きる私たちには到底考えられないことだと思います。「死にたくなくても死ななければならなかった」とても悲しい出来事・・・。今回沖縄にて現代に残る戦争の爪跡、史跡を訪れる度に「二度とこの様な悲惨な戦争は起こしてはならない」と痛感させられました。
 今一度、皆さんに問い掛けたいと思います!!
< 戦後68年たった今、私たちに出来ることは何でしょうか? >
 人間は人それぞれ価値観が違うので、いろいろな「答え」があると思います。今回も今までも「平和行動」に参加された全ての方は、必ず「何らか感じて」家路に着いたと思います。私も「その時感じたこと」を実践していこうと思います!!
 この「平和行動」は一人でも多くの方に参加してもらい、現地現物で自分の目で視て、自分の肌で感じて頂きたいと思います。
 今回この様な貴重な体験をさせて頂いたこと、また一緒に行動を共にし、一緒に活動に参加頂いた連合の「仲間」に感謝申し上げます。有難うございました!!
 
 NK(自動車総連)
 作成中