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  2013連合岐阜平和行動in長崎へ10人が参加
   


2013平和行動in長崎

~核兵器の廃絶と世界の恒久平和のために~

 (参加者の報告と感想を掲載しています。)
 「2013平和行動in長崎」が開催され、連合岐阜から10名が参加しました。

 ☆日 程  2013年8月8日(木)~9日(金)  
 ☆内 容   1.連合2013長崎平和集会  
    *日時:8月8日(木)15:00~18:00
  *場所:長崎県立総合体育館
  *内容:【第1部】 2015NPT再検討会議に向けて
        主催者挨拶/来賓挨拶/海外来賓挨拶/
        基調講演:
        「2015核兵器不拡散条約(NTP)再検討会議へ向けた課題と対応」  
       【第2部】 次世代への継承
       被爆者の訴え/ピースメッセージ/高校生平和大使報告と決意
       構成詩/平和アピール/ピースフラッグリレー/原爆を許すまじ     

 平和集会会場前にて
全国から3300人が参加

 参加された方のピースメッセージ
     2.長崎原爆犠牲者慰霊平和式典(長崎市主催)
    *日時:8月9日(金) 10:35~11:43
  *場所:平和記念公園 平和記念像前
  *内容:被爆者合唱/原爆死没者名簿奉納/式辞/献水/献花/黙とう
   長崎平和宣言/平和への誓い/児童合唱/合唱 千羽鶴
    2.ピース・ウォーク(爆心地公園・平和公園内・周辺慰霊碑巡り)
    *日時:8月9日(金)14:00~15:15
  *場所:長崎平和公園・爆心地公園
  *内容:連合長崎の青年・女性委員のガイドで平和公園内の慰霊碑をまわる 
 

  【ピース・ウォーク】
 原爆「落下」中心地碑    浦上天主堂遺壁    松山防空壕群(跡)
         
 8月9日午前11時2分、この標柱の上空500m付近で、人類史上2番目の原爆がさく裂。爆発と同時に発生した火球は、摂氏数百万度に達し、多くの市民の命を巻き込んだ。
  赤レンガ造りのロマネスク様式の天主堂は当時は東洋一の大聖堂と言われた。この遺壁は聖堂の南側残骸の一部を移設したもの。   この防空壕群は今年3月から一般公開されている。長崎では、丘や山が多い地形を利用して、斜面に横穴を掘られている。爆心地500m以内であったが、この中で生き残った人もいた。
 平和の泉    長崎の鐘
     
黒い石には山里小学校の児童で、当時9歳の山口幸子さんが「原子雲の下に生きて」に書いた文章の一説が刻まれている。「のどが乾いてたまりませんでした水にはあぶらのようなものが一面にういていました どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたまま飲みました」    鐘を支える4本の柱は、それぞれ、学徒動員・女子挺身隊・微用工・一般市民を表し、その上には、浦上天主堂のアンゼラスの金を模したものである。連合広島では、原爆が投下された8月6日、9日の原爆投下時間に「セレモニーを行っている。
 旧長崎刑務所浦上刑務支所    平和記念像
     
平和公園は浦上刑務支所があった地で、現在この刑務所の基礎部分だけが残されている。この刑務所にいた職員・その家族の53人、収容者など81人が焦熱地獄の中、全員が亡くなった。この写真では芝生の上の石が基礎部分。   神と愛の慈悲を象徴し、高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているとされている。原爆投下されて10年後に造られた。


 【平和長崎集会】
 主催者挨拶として連合古賀会長は「核兵器はいまだに約1万9千発も存在し、人類は核兵器の脅威にさらされている。日本は原爆が投下された唯一の被爆国として、核兵器による悲惨な被害が二度と起こらないように「核兵器の実験中止」「核兵器廃絶」を訴え、連合としても被爆者支援、核兵器廃絶と恒久平和の実現をめざし、取り組んでいく」と挨拶された。

また、「被爆者の訴え」では長崎平和推進協会の奥村アヤ子さんが当時8歳であった時の被爆体験を語られた。「原爆により、家族をすべて亡くした。平和の原点は人の痛みがわかる心を持つこと。一人一人が歴史を学び、原爆の恐ろしさも学んでほしい。次代を担う子供たちにこのような悲しさと苦しさを与えてはならない。」と涙ながらに語られた。
古賀会長  
奥村アヤ子さん(右)
 

 【次世代への継承 構成詩 親子で綴る平和の願いⅻ】
次世代への警鐘を意識(親子で平和について考える)しながら、連合長崎構成組織の組合員、家族(親子)・女性・青年を中心として構成。構成詩とは歌と朗読(被爆体験)で一つの物語を構成している。約100人による手話も交えた構成詩は、核兵器廃絶、世界恒久平和への力強い思いが訴えられた。
 

 
 【平和宣言】
  田上長崎市長
 「日本政府に、被爆国として原点に返ることを求めます。今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NTP)再検討委員会で提出された「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に日本は署名せず、世界を裏切りました。これにより核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。非核三原則の法制化に取り組み、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。」と宣言した。
平和祈念式 被爆者合掌の模様 

 ■平和行動に参加して・・

 被爆者の平均年齢は78歳となって語り部が減少しています。「私たちが被爆者の声を聴くことのできる最後の世代です。被爆者の声に耳を傾けてほしい」と田上長崎市長は語られました。
また、現在、全国各地の高校生20名により、高校生平和大使として若者の立場から平和への願いを国連へ訴える活動がされています。
次世代にこの核兵器の恐ろしさを伝えていくのは、こうしてここで被爆者の声を聴いた私たちの役目だと痛感しました。
 
**猛暑の中、ピースウオークで案内をしていただいた連合長崎の皆さんに、感謝いたします**