『2014平和行動in広島』に参加して

(随時、更新いたします

KT(自治労)
(作成中)
 
KU(自治労)
 
 広島を訪れるのは今回が初めてでした。8月6日を広島で迎えたことはとても貴重な経験でした。
 連合広島の方に平和記念公園内を案内していただき、慰霊碑をまわることで、多くの子どもや日本人だけでなく朝鮮の人々も犠牲となり、普通に暮らしていた人々が犠牲になったことを改めて知ることができました。

 集会で聞いた、平和の語り部である坪井さんのお話はとても生々しく、当時の状況が鮮明に伝わってきました。一瞬にして遺骨も残らず亡くなってしまった人々、生き延びても原爆症に苦しみ続ける人々、助けを求める人を助けられなかった後悔…思い出すことすら辛く苦しいことを語るということが、どれだけの勇気とエネルギーが必要か計り知れません。被爆者や戦争経験者の高齢化により、戦争体験を語り継ぐことが大きな課題となっている今、その想いを受け止め、次の世代へとつなぐ役割を果たさなければならないと感じました。

 学校で学ぶ戦争は歴史の一部であり、経験のない私たちにとってはどうしても遠い過去の出来事としてらえてしまいます。しかし、今なお被ばくの影響による病と闘っている人々、後悔や自責の念に苦しむ人々がいるということを知らなければなりません。
 この2日間を通して、改めて原爆・戦争の恐ろしさを痛感しました。同時に、広島の街の復興、病気の克服、平和を願う行動などから人間の強さも感じました。
 戦争を生き抜き、平和な日本を築いたすべての方への感謝と、核兵器廃絶と平和を願う想いを新たにしました。

 
HT(JAM)
  (作成中)
 
OK(基幹労連)
 (作成中) 
 
 KK(基幹労連)
 
 今回平和行動in広島に参加し、平和記念資料館見学や、連合2014平和広島集会参加、広島市原爆死没者慰霊式典を拝見して、広島に投下された原爆がどれだけの尊い命を奪い、現在に至っても被爆者が放射能よる後遺症や、精神的苦しみを受けている事を知りました。

 今までは原爆とは、新聞や報道でしか目にしたことがありませんでしたが、今回参加した事で、原爆の恐ろしさ・平和の大切さを肌で感じる事ができ、この貴重な体験を生かし、核兵器廃止に協力し、平和の大切さを今後の若い世代の人に微力ながら伝えていきたいと思います。
 
 HK(電力総連)
 
 平和行動in広島に初めて参加をさせて頂き、八月六日(水)平和祈念式に参加をしました。
 当日は台風の影響で雨の降る中、式典会場である平和記念公園に向かうと、私たちが到着した時には、すでに多くの方が会場を訪れていました。式典が始まり8時15分、平和の鐘の音が響き、参列者全員で黙とうが捧げられ亡くなった人を追悼しました。

 人を殺戮する為だけに開発をされた核兵器が米国により広島へ投下され69年の月日が流れ、現在の広島の街並みを見る限り当時の面影は見当たらない。戦争のない日本の中で、破壊された建物を見ることはない。そんな中、ポツンと原爆ドームが立っている。建物を目にし、当時の状況を想像すると恐怖を感じる。その後、当時の写真・資料などの展示物を見学し改めて戦争の悲惨さを痛感した。

 先日テレビ報道の中で、月日が流れ戦争に対する関心が薄らいでいると報道されていました。しかし、平和祈念式での参列者の中には、幼稚園児くらいの子供から、付き添われながらの高齢者、学生、外国人を目にし、平和を願う心は引き継がれていると感じます。世界を見ればいまだ戦争・紛争は起こっていますし、いつ、どこで核兵器が使用されるのかわかりません。「絶対悪」である核兵器の廃絶へ、世界の恒久平和について考えさせられた2日間でした。

 
YS(電力総連)

 初めて連合の平和行動に参加しました。以前、一度個人的に広島を訪れた際に、何気なく平和公園を訪れたことはありました。その時には、原爆ドームや石碑を見る程度で、深くは知ることができませんでした。今回はピースフィールドワークで、連合広島の皆様から当時の状況や、石碑の建立された理由を教えていただき、被害の大きさ、悲惨さを改めて感じることができました。
 また、平和公園には老若男女、外国人の方々も現地を訪れており、連合も含め、様々な団体の諸活動によって、戦争体験の風化をさせない努力の結果だと思いました。平和公園に集まった皆さんが慰霊・平和について思いをはせているのだと思うと感慨深いものでした。

 「連合2014平和ヒロシマ集会」においては、被ばく体験を語っていただいた坪井さんのお話はとても臨場感があり、学校の教科書や紙の資料では感じることができない当日の様子をお聞きし、大変心が痛みました。爆心地の中心付近にいた方々は全員がお亡くなりになり、絶望的な状況ながらもなんとか生存された方と周辺地域の方々がお互いに助け合い、復興に尽力されたご苦労・努力を忘れてはならないと感じました。

 普段、岐阜で働き、生活をしていると年に一度、慰霊式の映像をニュースで数分見る程度になっており日々の生活に追われて平和に対して意識することもなくなっていました。 今回の平和行動への参加は、先人達の多くの犠牲の上に成り立っている「平和」があって、私たちが安心して働き、生活していられるのだと改めて感じさせられました。今後も平和で安心して働き、生活のできる社会であるように、まずは自分が考え、行動していきたいと思います。
 
 OM(情報労連)
 
 8月5日、岡山あたりまでは明るさがあった空が広島県に入った頃から暗くなり、広島駅に到着した午前11時過ぎから降り出した雨は、翌6日の原爆死没者慰霊式典が終了しても止むことがなかった。
 この日が雨に見舞われたのは1971年以来実に43年ぶりとのことである。
そんな中、原爆ドームを始め、被爆に関する各種モニュメントなどを見学した後、夜開催された集会では、坪井 直 氏による被爆体験証言と題しての講演で氏が20歳で被爆した直後の惨状や、氏の取った行動、救出されてから89歳に至る今日まで被爆が原因とされる重病との壮絶な戦いの証言は筆舌に尽くし難い感があった。
 なお、氏は爆心地から1q南の路上で被爆したが生存率40%、500メートル以内の地点では生存率は0%、僅か500メートルの差が生死を分けたとの証言も印象に残っている。

 原爆死没者慰霊式展は降りしきる雨の中で挙行されたが、松井広島市長は平和宣言で「日本国憲法の崇高な平和主義の下で六十九年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要がある」と述べ、政府に名実ともに平和国家の道を歩み続けるよう求めた。また、9日長崎市で挙行された平和祈念式典で田上長崎市長は平和宣言の中で、集団的自衛権の行使容認の閣議決定を前提として「戦争をしない」という平和の原点が揺らいでいるとし、政府にこうした声に真摯に耳を傾けるよう求めたが、安倍総理には馬の耳に念仏の様である。

 いま日本国の平和と安全は間違いなく脅かされている。
 六十九年間戦争をしなかった事実を私たちは重く受け止め、未来永続的に伝えていく必要があると感じた2日間であった。
 最後に、集会でのITUC書記長代行のヤープ・ヴィーネン氏の挨拶の中で、また、慰霊式典の国連事務総長のメッセージの中で、被爆者のことを「ヒバクシャ」と日本語で言っておられたが、被爆者って国際共通語なんですかね? はじめて知りました。

 
 IR(情報労連)
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SH(自動車総連) 
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 MS(自動車総連)
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 GK(自動車総連)
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