『2016平和行動in長崎』に参加して

随時、更新します。

SH(自動車総連)
  
 今回で「長崎」の平和行動に参加するのは3回目になります。但し、他の2回と違うのは、今回は団の団長と東海3県の代表団長だったことです。当日、空港で挨拶をさせて頂いたときに参加者の皆さんに、「連合の平和行動に参加されたことがある方?」と質問させて頂いたところ、殆どの人が初めて参加する人ばかりでした。
 そこで、私は「実際に戦争を体験しているところは、その場の雰囲気というか空気が違うのでしっかり感じてほしい」ということと、「やはり岐阜にいては体感出来ないことを沢山体感してほしい」という2点を皆さんにお願いしました。
 戦後71年経った今、今回参加された方は「長崎」で何を感じたのでしょうか? 
 71年前日本国全ての人が戦争という出来事に翻弄され、その時代に流され、幾つもの尊い命が奪われました・・・ 
 「国のために命を奉げる」その当時の時代では当たり前のことだったのかもしれません。 現代に生きる私たちには到底考えられないことだと思います。「死にたくなくても死ななければならなかった」とても悲しい出来事・・・。「長崎」にて現代に残る戦争の爪跡、史跡を訪れる度に「二度とこの様な悲惨な戦争は起こしてはならない」と痛感させられました。
 今一度、皆さんに問い掛けたいと思います!! 
 戦後71年たった今、私たちはこの出来事に対し、「何を感じ、何が出来るでしょうか?」
 人はそれぞれ価値観が違うのでいろいろな「答え」があると思います。今回、「平和行動」に参加された全ての方は、必ず「 何らか感じて」家路に着いたと思います。
 今、私たちが「出来ること」それを今回の「平和行動」で感じてもらい、実践して頂けたら幸いです・・・

 この「平和行動」は一人でも多くの方に参加してもらい、現地現物で自分の目で視て、自分の肌で感じて頂きたいと思います。
 今回この様な貴重な体験をさせて頂いたこと、また一緒に行動を共にし、一緒に活動に参加頂いた連合の「仲間」に感謝申し上げます。有難うございました!!


 
KY(UAゼンセン)

 二日間『平和行動』に参加させて頂きましたが、とても貴重なお話を聞くことが出来、長崎の街を歩いて、平和の大切さを改めて感じました。
 【ナガサキ集会】では、いろいろな方の平和に対するスピーチを聞き、共感しました。中でも高校生の熱いメッセージ≪ビリョクだけどムリョクじゃない!≫という言葉に、力強さを感じました。
 また、被爆者の訴えでは、胸が痛くなりましたが、語りべをされている方の思いをしっかり受け止め、原爆の恐ろしさを後世に伝える大切さを痛感しました。田川さんが仰った「平和を作るエリートになってほしい」という思いを忘れず、これからも自分達が出来る平和づくりに取り組んでいきたいと思いました。
 二日目の【平和記念式典】では、高校生のしっかりとした力強い口調の進行に驚きました。やはり、長崎の方の平和に対する気持ちの大きさ、核兵器廃絶の思いの強さを知りました。私達は当たり前のように生活していますが、長崎には原爆症や後遺症で苦しんでいる被爆者の方が居らっしゃることを忘れてはいけないと思いました。
 さらに、原爆資料館で見た貴重な写真や資料は、衝撃的でしたが・・・71年前に実際にあった光景なので、目を反らさず受け止めなければいけないと思いました。
 【ピースウォーク】で回った原爆落下中心地や平和公園内の慰霊碑巡りも、この地に訪れないと分からない雰囲気がありましたし、暑い中説明して頂いた皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。
 私はこの二日間の体験を周囲に語り、頂いた資料などを見せながら、長崎のこと・原爆のことを一人でも多くの方に知ってもらいたいと思います。本当に貴重な機会をありがとうございました。


KH(UAゼンセン)

 「核兵器は人間の身体を壊し続ける」この言葉の印象が強く残りました。
 原爆投下された時に長崎で命を奪われた人は、7万4千人であることは知っていました、しかし、原子爆弾で被爆した人々の関連死を含めると、17万2千人にもなることは認識していませんでした。被爆死からかろうじて逃れてもその後に身体を蝕まれ、本人はもとより家族を含め苦しめつづけてきたことに悲しみを覚えました。
 このことからイメージではなく、当時の長崎市民が受けた悲しみを知る事がいかに大切であるか、そして、広島をはじめ長崎に投下された原子爆弾について日本はもとより世界の人々が知るべき歴史上重要な事実です。
 知るべき事実とは、原子爆弾の破壊力と人体に影響を与えつづけることにより、人々の苦しみが消えないということ。そして、その原子爆弾は戦争という不幸な歴史のなかで長崎に投下されたということです。また、長崎の原子爆弾に関連して私が特に知りたいのは、8月6日に広島に原子爆弾が投下された後に当時の日本政府がどう認知し、8月9日までにこの戦争をなぜ終結させる決断が出来なかったのか。更に、広島に原子爆弾を投下しその破壊力の凄まじしさを知ったアメリカ政府が、長崎への原子爆弾の投下に際しても日本政府に事前通告をしないとした理由です。
 この二点を考えても、戦争というものが人間らしい判断ができなくなる狂気をもたらすということです。

 人間の身体を壊し続ける核兵器の廃絶に賛同しない人はいないと信じたい。
 その核兵器廃絶に世界の人々のベクトルが向かうためにも、近代史の戦争という悲劇の事実をしることと、長崎・広島での原子爆弾による人々に影響しつづける悲劇を知ることです。そのために私達には何が出来るかを考えさせられました。

 現在、世界にある核弾頭、15,350発は人類に何をもたらすのであろうか。
 これは、歴史上で長崎・広島の人々を苦しめた原子爆弾の投下という事実がなかったかのように世界で起こっていることです。
 各国の指導者はこの世界と人類の将来をどう描いているのでしょうか?
 人類の未来は指導者に委ねて良いのであろうか?
 不安をぬぐえなかったことが長崎平和集会に参加して感じた事です。

 最後に、長崎平和集会において来賓?として挨拶した我が国の総理の言葉に核兵器廃絶への決意がまったく感じられなかったことが、更に、不安を大きくしました。
 長崎ちゃんぽんが美味しいことを知っているように、核兵器の恐ろしさを戦争の悲しみを日本の皆さんに知ってもらいたいです。


OM(交通労連)

 長崎への訪問はこの度で3度目ですが、平和行動への参加は初となりました。
過去2度の訪問については、どちらかと言えば観光が中心という事もあり、景勝地の見学や江戸時代から幕末・明治維新までの歴史について学んできました。
 今回は原子爆弾被ばくの生き証人である田川博康さんから生で体験談をお聞きする事が出来、当時の悲惨さが痛いほどに伝わってきました。田川博康さんは当時年齢が僅か12歳で、まだ幼いにも拘らず傷ついた両親の治療の為に救護所を探し回り、やっとの思いでたどり着いた救護所では、医療器具が不足の為、ろくな麻酔も打てずに大工さんの使う『のこぎり』で父親の足を切断する手術をし、その時の父親の苦しみの声が忘れられないとの事でありました。ご両親とも原爆投下から二週間と経たず亡くなり、生き地獄になった長崎で僅か12歳の幼い心は、あまりに大きなショックの為、悲しみの感情さえも表に出ない事もあったそうです。
 田川博康さんが終戦後、原子爆弾のトラウマを抱える中で、相当なご苦労され人生を歩んでこられたのは想像に難くありません。65年後に父親の手術に立ち会った看護師さんと再会した事がきっかけで、被ばく体験を次の世代に伝える『語り部』を始められました。その被ばく体験談は幼い時に経験した、恐ろしい出来事を思い出さなければなりませんし、またそれを話す事が、どれ程に辛い事か計り知れません。今回お聞きしました体験談は家庭の中で妻や子供達にも話しましたし、今後は組合活動の中においても可能な限り平和について考えてみたいと思います。

 平和行動については大学生や高校生の活動についても紹介がありました。若い世代が真剣になって平和への熱い思いを語っている姿をみると大人の私も刺激を受けましたし、自分自身の平和に対する意識の低さについても気づかされました。実際にニュースで高校生平和大使さんがジュネーブの欧州国連本部において堂々とスピーチされている映像を見ましたが、おそらくそのスピーチを聞いた世界中の方々の心の中に平和の願いが届いたと思います。
 原爆資料館の見学については、田川博康さんのお話と重なり、当時の遺品やご遺体の写真、絵を見る中で原子爆弾の恐ろしさをより一層肌で感じましたし、田川博康さんのお話の中にありました、父親が簡易の手術台で手術を受けている絵も展示されており、人々が懸命に救命活動をしている様子が描写されておりました。

 昨年は組織内の活動で戦後70年の節目の年に広島の平和記念公園、資料館、原爆ドームを訪れ、被爆者の『語り部』をお聞きし、更に71年目の本年は長崎において平和行動に参加させて頂きました。2年続けて原子爆弾の残酷さと戦争の恐ろしさを学びました。終戦から71年が経ち、今の世の中は過去の歴史の上に現在がある事を再認識し、『被爆者・戦争経験者のいない時代』が近づく中で、私達は苦い歴史を繰り返さない様に、風化しない様に、出来る限りの平和行動を続けたいと思います。

 
TH(交通労連)
(作成中)
 
HT(JP労組)

 8月8日、9日と「平和行動in長崎」に参加させて頂きました。
 被爆地への平和行動は初めてでしたが、平和公園で行われた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典はその厳粛な雰囲気から、自分がこの席で座って聞いていていいものかと思うくらいに重く感じました。
 黙とうの時には鐘の音と蝉の鳴き声だけが聞こえ、何故か分かりませんが子どもの頃の暑い夏を思い出していました。被爆者の方の実体験を聞き胸が痛み、地元高校生による司会やボランティアでの水の配布、小学生の合唱など、若い世代が真剣に活動する姿をみて感動し、平和への思いについて考えさせられました。

 長崎市長の挨拶にて被爆者の方の平均年齢が80歳を越え、被爆者のいなくなる日が近づいているとの話を聞き、これだけ被爆者の方が原爆や戦争の恐ろしさを伝えているのになぜ日本は違う方向へ行くのか、生の声が無くなって伝わっていくのかとても不安です。

 今回、自分の核兵器や戦争への考えの甘さを強く感じる貴重な時間を頂き、ありがとうございました。
 子どもたちの未来のために自分のできる事をしていきたいと思います。


 
OT(JP労組)

 2016ナガサキ平和集会に参加してきました。
 僕は連合の活動に参加し始めてから10年目になりますが、平和行動は初めての参加でした。
 集会では、学校教育では学ぶことが少ない内容を知り、平和への尊さと原爆の恐ろしさを再認識いたしました。また、現地でしか知ることができない非爆地の過去、現在の状況、活動の重要性も体験でき、内容の濃い活動でした。
 今後は、平和活動の内容を多くの人々に伝えるとともに、参加もさせていけるように努めたいと思います。