『2017平和行動in沖縄』に参加して

(随時、更新いたします

 
 NA(自治労)
 今回、初めて平和行動in沖縄に参加させていただきました。沖縄といえば、海が綺麗で、お酒に強い、そして南国情緒あふれる愉快なところというイメージがありました。

 初日は浦添市てだこホールにおいて「連合2017平和オキナワ集会」が開催されました。集会では、「沖縄の縮図・伊江島から学ぶ」をテーマに、山城克己(伊江島観光バス株式会社代表)による基調講演があり、沖縄の悲惨な歴史が伝えられました。その後、平和式典が開催され、亡くなられた多くの戦没者に追悼の誠を捧げ、最後に連合沖縄女性委員長の知念香織氏による平和アピールが採択されました。また、集会終了後の「平和交流会」では、民謡など琉球文化とふれあいを通じて親睦を深めることができました。

 二日目はピースフィールドワーク(現地視察学習)に参加し、まずは沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された海軍司令部壕や、沖縄本島の中部にある嘉数高台に行きました。嘉数高台ではカップルや地元の小学生が陸上の練習をしている等、今では平和な公園という印象でした。しかし、この平和は昔に死んだ多くの兵士達の命があったから成り立っているということを思い起こさせてくれる場所であると考えさせられました。
 次に、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた、ひめゆりの塔に行きました。参加者全員で黙祷をし、亡くなられた女学生らの冥福を祈りました。その後、糸満市にある平和記念公園に行きました。ここでは、なぜ戦争が起こり沖縄戦へと至ったのかということや、住民の視点からみた沖縄戦の状況、終戦から日本復帰までの沖縄の歩みが紹介されていました。
 そして最後には沖縄県庁前にて、「在日米軍基地の整理・縮小」「日米地域協定の抜本的見直し」を求める行動として連合集会を開催し、北海道から沖縄までの仲間と一緒にレヒコールを行いながらデモ行進をしました。

 今回、平和行動に参加して感じたことは、戦争を経験された方が減っていく中で、戦争の悲観さや平和の大切さというものを、どういったカタチで伝えていくかが課題ではないかということです。その中で私は一人でも多くの仲間に学習会で報告し、少しでも私たちの世代、そして次の世代に平和の大切さを伝える努力をしていきたいと考えています。
最後に、今回の連合2017平和行動in沖縄を実現していただいたスタッフの皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
 
KK(JAM)
 6月23.24日に連合2017平和行動in沖縄に初めて参加させて頂きました。
私は今回初めて沖縄を訪れるのですが、日本で唯一地上戦が行われた場所で実際に
戦地を巡るにつれ、戦争がどれだけ恐ろしく悲惨だった事なのかを、肌で感じる事
になりました。
旧海軍司令部壕はとても狭く当時の傷跡が生々しく残っていました。その中に日本兵
が自決した場所があり、戦時中の苦しみや悲しみ、どんな思いで自決したかと思うと
言葉になりません。壁に残った弾痕を見ると、兵士たちの苦しみや無念を表している
のではないかと感じます。
ひめゆりの塔では、学徒隊として戦地に出て行かなければならなくなった生徒たちの
懸命な救護活動。しかし最後は生徒たちの悲しい結末になってしまった事実。
なぜ彼女たちが理由もなく戦地に行かなければならなかったのか?戦争だから仕方が
ない?倒れた兵士の救護をしている姿を思うと、私は胸が締め付けられる思いでした。
資料館で実際の映像を見ている中、米兵が火炎放射器で野山を焼き払う場面や、崖の上
から銃を乱射する場面があり、本当に人が人にする行為ではないと思いました。
しかし戦争と言うものは、人が人で無くなってしまう恐ろしい出来事だと痛感しました。
二度とこの様な惨事を繰り返さないように、これから私たちが出来る事、それは戦争が
どれだけ愚かで悲惨なものでしかない事を、後世に伝えていく義務があるのだと、今回
のピースフィールドワークに参加して思いました。
戦後72年たった今でも、不発弾の回収・海に流れ着く火薬の欠片・普天間基地に隣接
して暮らしている住民の不安など戦争が残した物は計り知れないものがあり、未だ沖縄
戦争は終わっていないのだなと思います。いち早く住民たちが平和に暮らせる日になる
事を願う次第です。
最後に、連合の皆さん、現地でピースガイドを務めて頂いた沖縄・大分の皆さん共々感謝
申し上げます。今回は貴重な体験を与えて頂き誠にありがとうございました。
 



UK(JAM)
  
 平和行動in沖縄(6月23日〜24日)に初めて参加させていただきました。当日の沖縄は梅雨明け翌日という事もあり、絶好の快晴でしたが、湿度が高く蒸し暑い天候でした。第1日目は平和オキナワ集会および平和交流会へ参加しました。第1部の基調講演においては、修学旅行生とのGIビーチでの話など実際に島を訪れ、五感で感じ取り、語り継ぐことの大切さや、『平和の最大の敵は無関心』であるという事に気づかされました。

 第2日目は朝から夕方にかけて現地視察学習(ピースフィールドワーク)として3コースある中から連合岐阜は南部戦跡コース(旧海軍司令部壕、嘉和高台(普天間基地)、ひめゆりの塔、魂魄之塔、平和祈念館)を視察し、夕方から「在日米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める集会、デモに参加しました。現地視察学習を通じて、沖縄戦は国内唯一の地上戦という事で人々は日々恐怖におびえる生活をしていたと痛感しました。また戦争を絶対に繰り返さない為にも、私達が視察して感じた事を一人でも多くの方に伝えて、平和の重要性を語り継ぐことが私達の責任であると再認識しました。
普天間基地について映像では拝見していますが、実際に視察すると本当に近くにあり、近隣住民は日々不安な生活を過ごされていると思います。辺野古移設の問題など、沖縄県民のみの問題ではなく日本の問題として考えなければいけないと改めて感じました。ひめゆりの塔資料館においては、私を含めて参加者が皆、目を逸らすことなく焼き付けるように、神妙な面持ちで見入っており、何かを感じ取り、決意しているようにも見えました。実際に沖縄に来て五感で戦争の恐ろしさを感じ取る事により、平和の大切さを身の回りの一人でも多くの方々に伝えていきます。

 昨今の世界情勢や政治に対して不安ではあるが、流される事なく真摯に向き合っていく事が重要であると感じました。 

 最後に、平和行動へ参加の機会を与えていただきました連合岐阜に感謝申し上げます。また、一緒に行動した皆さまや現地で丁寧に説明していただいたスタッフの方に感謝申し上げます。大変ありがとうございました。
 
KN(基幹労連) 

 私も戦争を知らない世代ですが、両親が戦争体験者ですので、よく戦争の話は聞いてきました。母親は小学校に戦争の語り部として数回話をしに行っていましたが、戦争の悲惨さは特に感じることなく過ごしてきました。
 今回、平和行動IN沖縄に参加して、本当の戦争の悲惨さを感じることが出来ました。
沖縄では1945年3月から8月までということですが、この短い間に20万以上の人命が失われた事を今回初めて知りとても残念に思います。
 今回ひめゆりの塔・資料館に行きましたが、ひめゆり学徒隊だけではなく、たくさんの学徒隊があり多数の死者を出したことを初めてしりました。又集団自決ではなく、日本兵にたくさんの人が殺されたということも、今回知りました。
沖縄の言葉を使っただけで、スパイ容疑で殺された人が沢山いたことには、非常に驚きました。

 沖縄に米軍基地の70%が集中しているのは、良くないと思います。日本国内だけではなく海外移転ももっと要求していくべきだと思いました。
日本だけでなく戦争の無い世界を作って行くために平和行動を続けていきたいです。

 今回の連合岐阜のチームワークはとても素晴らしかったと思います。
このチームワークを今後も続けていける様期待しています。

 
 YH(基幹労連)
  今回初めて沖縄へ行ったので、沖縄の風土・郷土料理・市街の様子などいろいろ体験でき、大変参考となりました。ただ、想像以上の蒸暑さと日差しにはまいりました。

沖縄の歴史については、第二次世界大戦の地上戦とひめゆりの塔について、テレビ等で知っていたぐらいでした。親族から従軍体験を聞いたりすることがなかったので、今回の平和行動で、多くの体験談を聞いたり戦争史料を見ることができ、沖縄の歴史について深く学ぶことができました。

平和オキナワ集会では、伊江島の悲惨な戦争体験を山城氏から講演していただき、大変感銘を受けました。現在の米軍基地問題についての沖縄県民の反発について、その想いがわかる気がしました。
今回ピースフィールドワークでは、Bコース(戦跡コース)に参加しました。その中でひめゆりの塔・資料館に行きました。県内多くの女子学徒が動員され、多くの死者を出したことは知っていましたが、写真・手紙や語り部の言葉など多くの史料でその凄惨な状況を体験することができ、大変過酷な状況であったことを初めて知りました。
最後のデモ行進では、米軍基地問題がテーマということで、地元の方の応援を受けたりして、地元住民との一体感があったように感じました。

今回の平和行動に参加して、平和な時代に生まれた幸せと平和の大切さをあらためて感じました。また、米軍基地問題等の国際的な諸問題についても
もっと考えていかないといけないと思いました。
今後も、連合の諸活動に参加・協力していきたいと思います。
 
HK(電力総連)
 
 沖縄といえば、海に囲まれた自然豊かなリゾート地、レンタカーを借りて観光スポットを回る、海でマリンスポーツ、そんなイメージが強くあったが、今回、平和行動に参加をして、沖縄本島の各所に太平洋戦争の爪痕や慰霊碑、資料館が数多く存在することを知り、改めて沖縄戦の凄まじさを知ることができた。

 一日目の平和オキナワ集会の基調講演の中で、戦争について学習に来た小学生に海岸で小さな黒い塊を集めさせ火をつけると、その塊が一瞬で燃え広がり小学生が驚いたとの話があった。不発弾処理がいまも存在していることは知っていたが、海岸に火薬が漂着していることに驚いた。

 二日目のピース・フィールドワークで、まず始めに訪れた旧海軍司令部壕は、地下であるにも関わらず気温が高く湿度も高いため息苦しく感じた。当時はそこに爆音と傷を負った兵士のうめき声が響いていたと思うと、私にはその場所で昼夜を過ごすなんて想像できない。資料館には兵士が家族にあてた手紙が展示してあり、家族を思う気持ち、生きて帰れない思いなど当時の兵士の悔しさが伝わってきた。午後から訪れたひめゆりの塔にある資料館では当時の様子を記した本を読んだ。「傷口から蛆が湧いてくる」「切断した手足を処理した」「頭のない親友が倒れていた」読むだけで悲惨な状況が想像できる。次に訪れた平和祈念公園内の平和の礎には、沖縄戦で犠牲となった人々の氏名が刻まれており、犠牲者の多さを実感できる。平和の火は、沖縄戦最初の上陸地となった座間味村阿嘉島で採取した火と広島市の「平和の灯」、長崎市の「誓いの火」から分けられた火を合わせたもので、その下には水を張った世界地図が描かれ、平和が世界に広がる思いが込められていると聞いた。その後資料館を見学し、生々しい写真や遺品を見ることで、今、平和に生活できることへの感謝の気持ちと、これからも平和を守っていくことの大切さが実感できた。
 本島中部にある世界一危険と言われている普天間飛行場を含め、日本にある米国軍施設の大半が沖縄に集中していることは知っていましたが、今回改めて沖縄県地図を広げたときにその異常な大きさが目に飛び込んできた。今まで地図を見ても観光スポットしか見ない、基地の存在を気にしていなかったのだ。実際に嘉数高台公園頂上の展望台から普天間基地を望むと、学校や住宅が建ち並びその危険性がよく理解できた。沖縄県が軍事施設拠点として重要な場所であるため、基地の問題解決は難しいと思うが、整理・縮小に向けて力になれればと考える。

 最後に、連合沖縄の皆さんお疲れ様でした。また、ピースガイドをして頂いた全駐労の皆さん、ありがとうございました。
 

HM(電力総連)

 6月23日から3日間2017平和行動in沖縄に参加させていただきました。
 初日の連合2017平和オキナワ集会の山城克己講師のお話、2日目のピースフィールドワークで戦跡コースを回り沖縄でどんな悲惨なことが起きたのかを知り、改めて戦争について考えさせられました。広島の原爆資料館を訪れたことがありますが、沖縄との決定的な違いは、地上戦があったということです。美しい海を埋め尽くす戦艦の数、夜空を埋め尽くす砲弾の光、このような様子を目の当たりにした時どれほど恐ろしかったか、また圧倒的な戦力の差で徐々に追い詰められて行く様が手に取るように感じられて、いたたまれなくなりました。しかし、沖縄県民の9割が戦争を知らない世代になりこの戦争の悲惨さを伝える語り部が少なくなっていることが気がかりだと思います。

 また夜お酒の席で、地元の方とお話をすることができました。色々お話をしましたが、米軍基地の話になったとき、美しい海も本当に大事だが人の命がかかっているんだよなあとしみじみおっしゃっていたのが印象的でした。

 色々考えさせられた3日間でしたが、職場に戻り私の感じたことを、少し話をさせていただきました。また沖縄の話題が出たとき今回の平和行動を思い出すと思います。
 最後になりますが、ピースフィールドワークでなれないガイドを懸命にしてくださった連合沖縄の皆様、本当にありがとうございました。
 
 UN(自動車総連)

 平和行動は、長崎(2005)・広島(2011)に参加し、今回の沖縄で3回目の参加をさせて頂きました。長崎・広島のいずれも大変暑かったことを印象深く覚えております。また、今回の沖縄は前日に梅雨明けとなり、晴天に恵まれたものの非常に蒸し厚く、72年前の戦争中の気候を想像するには、最適な環境となったのではないかと感じました。

 沖縄には日本における米軍基地の占有面積は70%と多くを占めている現状があり、常に危険と隣り合わせで、今も戦争による影響を受けておられている。そんな中で今回のピースガイドを担当して頂いた連合沖縄青年部の石川さん(全駐労)をはじめとする皆さんは、米軍基地で働いておられるとお聞きしました。連合として我々が行っている活動は、米軍基地の整理・縮小を訴えている。言い換えると、仮に米軍基地が無くなれば別も問題が生じ、雇用維持・確保という観点では基地があって生計が成り立っている全駐労をはじめとする多くの方々は、複雑な思いが反面にあるのかなと感じました。しかし、その事は胸に秘めておいてピースガイドとして、とてもわかり易くお話も大変上手に説明して頂き、このために事前勉強をしっかりされている印象を受けました。また、連合沖縄の同行頂いた方も過去1番のピースガイドではないかと褒めており、同感でした。

 平和行動は、琉球王国の首里城の見学からはじまり平和オキナワ集会に参加、翌日は南部戦跡Bコースを見学し、どれも大変印象に残りました。中でも旧海軍司令部壕とひめゆりの塔は、考えさせられるものが有りました。当時の詳細状況は分かりませんが戦争の悲惨さは絶対に繰り返すことのない平和な社会を維持して行かなければならないとこは誰しもが思う事でしょう。日本は平和主義であり、ミサイルを飛ばす国や核兵器を保有する国とは異なる平和な国ですので、将来、永久的にこの平和行動が引き継がれていくことを希望します。
 最後に、参加された皆さん大変お世話になりました。そして、大変お疲れ様でした。
 
HU(自動車総連)
 
  今回、初めて平和行動に参加をさせて頂きました。沖縄という事で、自分自身の沖縄について知っていること、思うことを考えてみましたが、「戦争の時に悲惨な地上戦があった場所」という、小・中学校で学んだ知識しか持っていませんでした。
 最初に気づかされたことは、学校の授業で学んだ事は沖縄戦の概要であり、本当の戦争の恐さというのは、実際に沖縄に足を運び、いまも残っている戦争の爪痕をめぐり、現地の方のお話を聞き、五感で感じないと分からないことだと思いました。
 1日目に伊江島観光バスの山城さんの講演を拝聴しました。沖縄本島が戦地となる前に伊江島が戦地となったという事を初めて知りました。6日間の激しい戦闘の中で、特攻や自決により戦士した方が日米で約3500人おり、さらに今でもビーチに当時の不発弾の火薬が流れ着く場所があると聞き、当時の悲惨さ、今でも影響があるという事を学びました。
 2日目のピースフィールドワークでは、石川さんを中心としたピースガイドの皆さんに案内をしていただき、一日かけて戦跡を巡りました。壁にめり込んだ手りゅう弾の跡やトーチカの周りの砲弾の跡を見て改めて沖縄戦の激しさを感じました。また、ひめゆりの塔では、幼くして激戦地で軍とともに行動をしていたひめゆり学徒隊の方々の写真の展示がありました。子供たちまで最前線で、激戦地で生きるか死ぬかの戦争に巻き込まれていたと思うと、子供を持つ親として本当に悲しい思いになりました。
 沖縄戦で起きたことは、今の私たちの暮らしからは想像もつかないことばかりです。平和に暮らすことが当たり前になっていますが、過去にどんな事があったのかをしっかりと今の若い人たちに伝えていく必要があると感じました。
そして沖縄では、今も米軍基地に関する問題で苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。私たちも同じ日本人としてもっと真剣に考え、そして周りの人たちに伝えていく事が必要だと感じました。
 最後に、ピースフィールドワークで暑い中、私たちのガイドを務めて頂いた石川さんをはじめピースガイドの皆さん、本当にありがとうございました。
 
AY(情報労連)
 梅雨の明けた6月23日の「平和沖縄集会」・24日の「在日米軍基地の整理・縮小」・「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動に参加させて頂く機会に恵まれました。
行動の合間を縫って、旧海軍の指令壕や地下壕、ひめゆりの塔、資料館などの戦跡を巡り、現実を見ることもなく自分なりに蓄えてきた知識と目で見た現実との間に大ききなギャップがあることに驚きました。
 戦禍をくぐり抜けて生き残った人が集団自決を語れないのは、自分も死ぬつもりで家族に手をかけてしまったのに、自分だけが生き残ってしまったから・・・との説明には涙が出た。沖縄戦を生き残られた人たちには、戦争で亡くなられた人たちに匹敵するくらいの苦しみが今も続いていることを感じた。
 敗戦から72年の沖縄。
 戦争を知らない世代が、戦争を知らない世代に戦争を語り継ぐ難しさは、自分も含めての課題であり責任でもある。集会での「平和運動だけは純粋な気持ちで行ってください」、そして戦跡を案内して頂いた全駐労の方の「沖縄を五感で感じてください」の言葉はしっかり腹に落とすことが出来た。
「このまま流されるのか?・踏みとどまるのか?」の問いには、間違いなく後者を選ぶ。
沖縄に来てよかった。
沖縄ピースステージを支えて頂いたスタッフの皆様に心より感謝を申し上げます。
ありがとう。

KT(情報労連)
 「今の日本が心配です」
 私にとっての『平和』とは、友人や家族と一緒に食事をし、たわいもない会話をして、共に笑ったり共に怒ったりするごく普通の生活が送れることです。
 しかし世界には、まだ戦争・テロなどにより理不尽な辛い目に会い、それにより貧しい生活を送り満足に食事すら取ることのできない人も沢山います。
 数十年前までの日本は、その国に一つでした。戦時中は“お国のため”などと言い軍国主義がまかり通り、家族を失い食糧不足で飢えに苦しみ、小さな子供までが盗みをはたらいたりするような、つらい思いをしたことでしょう。
 沖縄では、飢えと渇きと共に恐怖に襲われ震えの止まらない状況下から米軍占領下におかれてしまいました。

 今回、沖縄の地においての悲惨な記録を目の当たりにして、理解していたつもりでしたが、言葉を失うほどの思いと共に、戦争の愚かさをつくづく思いました。
 なぜ沖縄の方々が戦争中から今に渡っても、犠牲にならなければならないのか、日本に返還されたはずなのに米軍(米国)の治外法権的振る舞いが横行することについて、理不尽な思いがして止みません。

 私は、当然戦争の経験はありませんが、今のこの国の進み方を考えると、またその時(戦争をしていた頃)に戻ろうとしているように思えてしかたありません。
 そう感じるのは、わたしだけでしょうか・・・

 “お国のため”などと考えなくても良い、人と人とが心豊かな生活が送れる社会が来ることを真に願います。