2019平和行動in沖縄   参加者からのピースメッセージ   
   
 H・Nさん (基幹労連)  
6月23日沖縄「慰霊の日」に合わせて開催された、連合主催「平和行動in沖縄」に初めて参加しました。中部国際空港で愛知・三重・岐阜の東海3県が合流し、三重県の松山団長を中心に37名で結団式を行ったのち、各県で纏まって行動しました。
梅雨前線の停滞で那覇市は雨、「慰霊の日」に傘をさす程の雨が降るのは30年ぶりとのことで、令和初の平和行動は色々な意味で記憶に残るものとなりました。
首里殿内(しゅりどぅんち)での昼食や首里城見学で、琉球王朝時代からの沖縄の歴史や食文化に触れ、少し馴染んでから平和集会の行われる空手会館に向かいました。
空手発祥の地の沖縄に2年前に設立された空手会館に、全国各地から連合の仲間が集い、「語り継ぐ戦争の実装と運動の継続で恒久平和を実現しよう」をスローガンに、平和オキナワ集会が行われました。
 第一部の基調講演では沖縄県知事公室基地対策課、島袋秀樹氏から「他国地位協定調査について」講演をいただきました。現地調査に基づく日本と東欧諸国(ドイツ・イタリア・ベルギー・イギリス)との違いを含め、現状と課題を説明をいただき大変勉強になりました。
 第二部の平和式典では、主催者である連合の相原事務局長やご来賓の挨拶と平和メッセージの後、連合広島へのピースリレー、連合沖縄女性委員からの平和アピールが行われ、沖縄戦の悲惨さ、米軍基地負担の重さを再認識すると共に、恒久平和の実現に向けて粘り強く平和運動を推進することを全員で誓い合いました。1日目夜の3県合同の夕食懇親会では、県や産別の枠を超えて交流を図ることができ、有意義な時間となりました。
2日目は、ピースフィールドワークで南部戦跡Cコース「糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔・資料館、魂魄の塔、平和記念公園・資料館」を連合沖縄青年部のピースガイドにより見学して回りました。川井兄弟による誠実で熱いガイドのおかげで、戦争の悲惨さや戦没者への慰みはもちろん、沖縄で生まれ育った若者の世界平和に対する強い思いを感じる機会となり、大変勉強になりました。オキナワ南部の自然洞窟が、住民の避難場所となり、日本軍の基地・野戦病院となった様子や、ひめゆり学徒隊の命がけの昼夜を問わない献身的な行動に驚きました。また、奇跡的にも生き残ったひめゆり同窓会の皆さんが、戦争の悲惨さを後世に語り継ぐ活動に尽力されていること、戦後70年を経て平和記念資料館やひめゆり資料館など、彼女たちに代わって映像と資料で後世に伝える施設が建設され、次代にリレーされ続けている点にも感心しました。
広島・長崎の平和行動には参加したことがありますが、沖縄上陸から3か月間にわり猛爆撃と艦砲射撃が行われ、住民を含む20数万人の尊い命が奪われた沖縄戦の惨劇と実相に改めて触れ、恒久平和実現への思いを新たにしました。今回見聞きして肌で感じた内容を持ち帰って、命の尊さ、戦争の悲惨さを様々な形で伝えたいと思っています。
貴重な機会をありがとうございました。
 
   
 K・Hさん(自治労)  
  6月23〜24日にかけて平和行動in沖縄に参加させていただきました。
1日目に「2019平和オキナワ集会」に出席し、「米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を行うべきという意思統一がされました。特に、日米地位協定は、米との地位協定がある他国に比べて、裁判権などが米優位にある不平等のものであることがよくわかりました。
2日目には、現地の方がガイドとなりピースフィールドワークに参加しました。現地の労組の方がガイドとなり「糸数壕(アブチラガマ)」「ひめゆりの塔」「魂魄の塔」「平和記祈念公園・資料館」を訪れ、それぞれの地で説明を受けました。これまでは、戦争があったという話を聞くだけで知ったつもりでいましたが、現地で見て現地の方から直接話を聞くことで、より真実を知り深い理解ができ、とても貴重な経験になりました。
戦後74年を経て、当時のことを語り継ぐことができる方が少なくなっていく中、戦争を経験していない私たちの世代は、自ら調べ・聞き・知ること、そして戦争のない世界を訴え、後世へ伝えていくことが必要だと強く思います。
 
   
 T・Yさん(JAM)  
  平和行動in沖縄に初めて参加させて頂きました。プライベートを含めて初めての沖縄ということもあり少し観光気分が入っていましたが、過去にあった悲惨な史実を現地で見聞きしたことにより、平和行動へ参加する心構えが全く出来ていなかったと、自身の未熟さと恥かしさを感じた3日間でした。
 昨年、個人的に広島・長崎に出向いた際に各資料展示を訪れて見て感じたのですが、歴史としての戦争しか知らない私にとって大きな衝撃を与えることは容易いことでした。最近多い自然災害で亡くなられた方々にも言えますが、報道・メディア等では「〇〇名の尊い命が犠牲となりました」等と包括的な人数が報道されますが、〇〇名と言った数値ではなく、その一人ひとりには家族があり、友人・知人がおり、これまでの人生を歩んできた尊い人生があった訳です。今回訪れたひめゆりの塔記念館には、亡くなられた方の一人ひとりの写真とその方のバックグラウンドが描かれており、より無念さや悲しみが感じられ一番深く心に刻まれた場所でした。
 また、フィールドワークガイドの方の言葉も、自分たちの暮らす沖縄の先人たちの想い・現在の沖縄が抱えている問題を我々に届けようと、言葉を選びながら話されていたのが印象的でした。
 この貴重な経験をして岐阜の地に戻った私たちは、地元で起った岐阜空襲などの戦況について改めて知るべきであると同時に、戦争が引き起こす凄惨さをしっかりと後世に伝え、平和維持のために一人ひとりが何をすべきかを考え行動しなければならない。
 
   
 Y・Tさん(JAM)  
 今回が初の参加となる平和行動in沖縄でしたが、とても貴重な体験をさせていただきました。
ピースフィールドワーク(現地視察学習)では南部戦跡コース(糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、魂魄之塔、平和記念館)を視察させていただき、その後「日米地位協定の抜本的見直し」を求める集会、デモに参加しました。
ピースフィールドワークでの現地スタッフの説明、誘導がとても印象的で沖縄の方々の「6月23日」に対する想いを感じることができました。
また、アブチラガマでは、現地スタッフの方にその当時の様子を説明していただき、沖縄の観光以外の側面を知ることができました。
この経験を周囲の人に伝え、この気持ちを忘れないようにしたいと思います。
最後になりますが、平和行動へ参加の機会を与えて頂いた連合岐阜、一緒に行動したみなさまに感謝を申し上げ報告とさせて頂きます。
 
   
 H・Yさん(基幹労連)  
 去る6月23日から25日にかけ連合岐阜平和行動in沖縄に参加させて頂きました。
沖縄の空港周辺や市内を一見すると、過去の大戦の悲劇・惨状を垣間見る事が出来ませんが、ピースフィールドワークにおいて、『糸数アブチラガマ(ガマ=沖縄の方言で洞窟)』などに入り、狭く真っ暗な洞窟内で実際に繰り広げられた悲惨な惨状を聞き、『ひめゆり平和祈念資料館』での女学生達の地獄の様な体験談に触れると共に、『沖縄県平和記念公園及び資料館』では、沖縄戦で亡くなられた方々の氏名が刻まれた数多くの“平和の礎”が整然と並び、その前には花が手向けられている現状をみると、どれほどの犠牲を過去に負い、そしてまだまだその傷が癒えていないかを改めて感じる事が出来ました。
 今回の平和行動を通して、「戦争とは非力の者から命・財産を失う。その非力の者とは武器を持たない善良な一般市民である。」だからこそ戦争を起こす・起こさせてはいけないことを再認識しました。
また、「日米地位協定の抜本的な見直し」についても、基地内で働く仲間が日本の労働条件で待遇されないなど、数々の課題があることも知ることが出来ました。
今後も連合として「沖縄県の基地負担軽減」と「日米地位協定の抜本的な見直し」に向け、沖縄県民の心に寄り添いながら平和活動が進められると思います。組織としてはもちろんのこと、人命が失われる悲劇・平和の大切さなど、肌で感じた事を少しでも広め活動の輪を広げて行きたいと思います。
貴重な機会を与えて頂いた連合岐阜及び事務局の方々に感謝を致します。共に頑張りましょう。
 
   
 J・Mさん(電力総連)  
 今回初めて連合岐阜平和行動in沖縄に参加させて頂きました。
 『首里城』、『糸数アブチラガマ』、『ひめゆり平和祈念資料館』、『沖縄県平和記念公園及び資料館』を見学しました。
特に印象だったのは、糸数アブチラガマでした。本当に普通の洞窟で、この中でろうそくの明かりだけで生活をしていたのは信じられませんでした。床も平らな場所などなくとても横になれるようなスペースはありません。この暗闇の中で、1日過ごせと言われても無理だと思いました。
また、日本兵により一般市民がより入口に近い場所へ追いやられていたと知り、衝撃を受けました。戦争は対外国だけの問題だけでなく、日本人同士でも起きていたのだと知りました。その説明を引率していただいた沖縄の川田兄弟から聞いたことにより、心に刻まれるものがありました。学校の授業で受けた印象とは比べ物にならないと思います。
川田兄弟の説明で、今の沖縄の若い人たちの戦争に対する思い、アメリカ軍基地についての思いについて少し触れる個所がありました。私は恥ずかしい話、そこまで深く意識をして生活をしていませんでした。沖縄で育ったからこそ伝えられてきた本当の気持ちや、資料からでは伝わりきらない実状、そういったものに触れることが出来てとても良かったと思います。また、私自身も今回の経験を組合や職場で伝えていかなくてはいけないと思いました。
貴重な機会を与えてくださいました連合岐阜及び事務局の方々に感謝を申し上げます。
 
   
 K・Iさん(電力総連)  
 今回初めて平和行動に参加させて頂くにあたり、これまで沖縄に対して知っていた事は、空や海が綺麗な観光地と過去に戦争があり多くの人が犠牲になったという教科書で習う程度のざっくりしたものでした。
 しかし、実際に戦跡を巡り、特にアブチラガマではそこで何があったかを聞き、またその環境を直に体験する事で、どれだけ悲惨で想像を絶する現実があったかを感じる事ができ、絶対に二度と繰り返してはいけない事だと心に強く思う事が出来ました。
 平和記念公園においては、平和の礎を中心に地面の模様や慰霊碑の形が波のようになっており、それはこの地を中心に世界へ平和の祈りが波となって届くようにという願いが込められている事を知りました。今回集まった多くの仲間が、この平和の波を各地で更に大きな波としてより広くより遠くまで届ける使命を担ったのだと感じています。
 また、慰霊碑には日本のみならず他国の犠牲者の名前も刻んであり、賛否があるかもしれませんが人の死に優劣を付けない平和への
意思を感じる事が出来ました。
 沖縄の県民性はとても大らかであまり怒らないイメージがありますが、これは過去に悲惨な事があった裏返しで、人一倍平和を願う気持ちや二度と繰り返させない決意、物事を許す心などから来ているものなのではと感じる事があります。
今回ピースガイドとして引率して頂いた川田兄弟をみて、このような若者がいれば沖縄の将来は明るく平和だと強く感じました。
 今後、自分自身何が出来るかを考えた時に、この平和行動で現地を知りそれを受け継いでいく、語り継いでいく事の大切さを学びましたので、たくさんの人に事実を知ってもらい、特に戦争を知らない世代へいかに戦争が愚かな行為なのか、今の平和がどのように成り立っているのか、恒久平和に向けてどのように行動していくのかを伝えて行きたいです。
 最後に、今回本当に良い機会を与えて頂き、関係者の皆さまには大変感謝しております。ありがとうございました。
 
   
 H・Nさん(情報労連)  
  今回、初めて2019平和行動in沖縄の平和行動に参加させていただきました。沖縄を訪れたのも初めてで、私にとってとても有意義な体験と経験になりました。
 初日は、時折雨が降る天気でした。最初に首里城見学後、沖縄空手会館において「平和オキナワ集会」が開催されました。基調講演や平和式典の内容は、普段生活している中での新聞、テレビでもなかなか聞くこと見ることができない、現在の沖縄米軍基地の問題について県民の想いがわかるような気がしました。
 2日目も天気はよくありませんでした。ピースフィールドワークでは戦跡コースを回りました。コースは糸数アブチラガマ→ひめゆりの塔→魂魄之塔→平和祈念資料館に行きました。各戦跡では、ガイドを務めた連合沖縄青年委員の方がピースガイドをしました。若く戦争体験がないのに、分かりやすい説明でとても良かった。戦跡の説明のほかに普段カラオケなどでよく聞く島唄の歌詞の持つ本当の意味について聞いたとき、意味も知らなく歌っていたのだと実感しました。私の子供たちも修学旅行で、同じ戦跡等を訪れて同じ様な戦争の悲観さや平和の大切を実感したと思いました。
 最後に、貴重な体験させていただいました連合岐阜に感謝申し上げます。また行動を一緒にした皆様及び事務局の方に感謝申し上げます。
 
   
  M・Tさん(情報労連)  
 2019年6月23日〜25日の沖縄平和行動に、連合岐阜・情報労連の代表として参加しました。
昨年の根室が地震で中止になったため、今回沖縄への参加となりました。
昭和51年入社以来数々の組合活動に参加してきましたが、平和行動は初めての参加です。
初日はどうしても観光気分が半分でしたが、ガイドさんの説明の中に軍港と聞いて沖縄のアメリカ軍基地は
飛行場だけではないことに初めて気づき、少し衝撃を受けました。
23日の講演会での話も印象に残りました。
日本は敗戦国だからこんな理不尽な扱いを受けるのだと思っていましたが、そうではないことを学びました。

24日のピースガイドさんの案内でのフィールドワークも有意義なものでした。
特に糸数壕(アブチラガマ)をお墓だと認識している方が見えると聞いて、観光気分も消えました。
数々の戦争の慰霊の施設を見学しましたが、何処も沖縄戦の被害が尋常でないこと、そして何より
多くの民間人の方が亡くなられている事が衝撃でした。
ピースガイドの方が、南部の地域には今でも掘削をすると不発弾や遺骨が出てくることも聞きました。
まだまだ土の中で供養もされない方の、遺骨が沢山眠っている事も実感しました。
私は昭和32年生まれ、戦後の生まれです。
父は戦争を体験しましたが、憲兵でしたので戦地へは行きませんでした。
でも私が自衛隊へ入りたいと言ったら、ものすごく怒られました。
父は静岡で終戦を迎えましたが、それでも戦争の悲惨さをいつも語ってくれました。
そんな父も93歳で昨年亡くなりました。
ひめゆりの塔で見学したとき、現役で当時の悲惨さを語れる方がほとんどいないことも知らされました。
文章も読みました・当時の体験談のビデオも見ました・でも何か伝わるものが薄く感じられたのは
私の沖縄戦への関心が薄いせいなのでしょうか。

24日に戦跡コースを回り平和行動デモ行進に参加しました。
平日なのに国際通りはたくさんの観光客でにぎわっていました。
74年前に悲惨な戦争で多くの方が犠牲になった沖縄、多くの観光客でにぎわう国際通り、どちらも沖縄
だと思います。
今の自分に何ができるのかと問われたら、何もできないかもしれません。
せめて自分の子供、孫、そして普段親しくしている友達には沖縄は南国ムードの漂う
観光地ではなく悲惨な戦争を体験して、そして今でもその延長で理不尽な思いをしている方が
大勢見えることを伝えていきたいと思います。
 
   
   
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