「願う」平和から「叶える」平和へ ~平和行動in沖縄 報告~

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 「平和行動in沖縄」が6月23日から25日の3日間、沖縄県那覇市にて開催され、全国から1,400人強もの連合の仲間が集いました。連合栃木からは5人が参加し、沖縄本土復帰40年の節目を迎え、「米軍基地の整理縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求め、また戦争の悲惨さや残酷さを伝える、更には鎮魂と不戦の誓いで平和を願うための行動が行われました。

 平和オキナワ集会 001ミニ平和コンサート 喜納昌吉さん 032平和交流会 古賀会長と共に 008集会 南雲事務局長034ひめゆりの塔 027

 

基幹労連 吉成 和人 さん (住友金属鉱山シポレックス労組東日本支部)

 初日、平和オキナワ集会の第1部では、政策研究大学院大学准教授道下徳成氏による「変わりゆくアジア情勢と日本の対応」をテーマにした基調講演が開催されました。内容としては米軍基地縮小に関わるアジア情勢、特に北朝鮮や中国の挑発的行動の意図の解説があり、現在、北朝鮮との緊張状態の中では米軍の有用性は高い旨の説明がなされました。米軍基地の縮小をするためには現実を理解することが大切であることが分かりました。

 第2部では平和式典が行われ、古賀伸明連合会長の挨拶をはじめ、8月の「平和行動in広島」に向けて、連合沖縄会長から連合広島会長にフラッグを手渡しピースリレーがされました。両県連合会長の挨拶では、平和への強い思いが伝えられ、会場内の参加者全員が沖縄県が抱える問題をはじめ、今も被爆の影響が残る広島の方々の思いの認識が共有化されたのではと思います。

 2日目は「ピースフィールドワーク」が開催されました。私たちは戦跡Aコースで最初に旧海軍司令部壕を訪れました。ここの資料館に入るや否や目に飛び込んできたものは生々しい戦争最中の写真で、そこには犠牲になった日本兵のものや恐怖で震える小さな子どものもの、また沖縄住民の逃げ惑う写真が数多く展示されており衝撃的でした。それから順路を辿り壕内へ入り見学をしました。壕内は狭く、戦時中は4000人もの兵士が収容されていたとは思えない空間でした。

 次に私たちは嘉数高台へと移動しました。嘉数高台は、日本軍が最後の組織的な戦闘を行った場所で、その高台から町並みを見渡すと、町の中央に広大な面積の普天間基地を一望することができました。当日は日曜日ということもあり戦闘機の離着陸は見られませんでしたが、普天間基地の危険性と騒音被害の大きさを改めて認識することができました。

 嘉数高台からはお昼を挟み、ひめゆりの塔へ向かいました。ひめゆりの塔は「ひめゆり学徒隊」の戦没者が祀られており、敷地内の「ひめゆり平和祈念資料館」で、当時の悲しい、胸が苦しくなるような事実を詳しく知ることができました。

 最後は平和祈念公園へ行きました。ここには沖縄戦で犠牲となった沖縄県民や国内外のすべての人々の名前が刻まれている「平和の礎」や韓国人慰霊塔での平和祈念や、平和記念館で沖縄戦について学びました。

 ピースフィールドワークのあとは与儀公園にて集会が行われ、「米軍基地の整理縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を力強く求め訴えるシュプレヒコールの下、県庁前県民広場へ向けてデモ行進を行いました。行進途中では行き来する車中の人々や歩行中の人々がこちらを注目していました。その人たちにはどの様にデモ行進の意味・意図が伝わっているかは分かりませんが、少しでも我々のシュプレヒコールに賛同し平和を願う思いが伝わればいいなと思いました。

 戦争はたくさんのものを奪い、深い傷を付けました。日本唯一の上陸戦により、家を追われ、家族を奪われ、また、自らの手で命を奪わなければいけなかった事実。

 今回参加して、深く沖縄の実態、戦争の悲惨・残酷さ、沖縄に住む人たちが負ってきた傷というものを知ることができました。また「平和」に対する強い想いも感じました。

 

なんたい地協 牧野 昌弘 さん (電機連合東芝ライテックユニオン鹿沼支部) 

 私は今回初めて平和行動に参加させていただきました。そのうえ初めての沖縄でしたので、正直、観光パンフレットのような派手やかな南国的なイメージをもっていました。

 もちろん太平洋戦争の沖縄戦は在学中に学んでおり、その他戦争の無残さを報道などにより学んではおりましたが、しかしながら戦争を知らない私にとっては観光パンフのイメージが強く、こちらの方が深く脳裏に焼きついていたのでしょう。

 参加後このような罪悪感や神妙な面持ちになったのは旧海軍司令部壕を見学した時からという事もはっきり記憶しています。「百聞は一見に如かず」とありますが、現地に行って戦跡ではありますが一見するだけで全然変わってきます。もちろん戦跡ですので資料を基にした私個人の想像にはなりますが、私の場合はここから、一つ目の戦跡見学後から変わりました。その後は何処の資料館に行っても沖縄戦の資料を記憶しよう、情報を取得しようと、時間の許す限り夢中になって資料を読んでいました。

 3日目、帰路の日は首里城見学とお土産購入をさせていただきましたが、上記で学んだ、ある意味戦争の犠牲となった沖縄の人たちに直接触れて驚きました。そこには本土に対する恨みは無く、優しく親切に接していただき、沖縄の人たちは前を向いて次を見ている事を感じ取りました。今後は今回の平和行動を通して私が感じ取ったことを少しでも皆に伝えられたらと思っています。最後になりますが、このような貴重な体験をさせていただき大変有難うございました。

 

下都賀地協 中原 康則 さん (電機連合富士通労働組合小山支部)

 平和行動への初参加と初めての沖縄と言うこともあり、若干の緊張と暑さへの対応が出来るかなどの不安がある中での参加となりました。当日は、梅雨明けした沖縄での行動を共にするメンバー5人と空港で合流し、沖縄へと向かいました。到着と同時に沖縄の暑さを実感し、大変な2日間の平和行動になるなと思いました。

 初日は、那覇市民会館大ホールで今回、初めて2部構成での集会が行われました。第1部では、道下徳成さんから基調講演として「変わりゆくアジア情勢と日本の対応」について話しを聞かせて頂き、色々なシナリオが有り、様々な確度から考えなければならないことと現実を理解することが必要であるなと感じました。第2部の平和式典では、沖縄戦で犠牲になられた御霊に黙祷を捧げ、連合)古賀会長、連合沖縄)仲村会長、来賓のあいさつを聞きました。また、平和行動in沖縄は2012年の全国平和行動の最初であり、次の広島へピースリレーを行いました。

 2日目は、ピースフィールドワークとして、戦跡コース(旧海軍司令部壕⇒嘉数高台⇒ひめゆりの塔/資料館⇒平和記念公園/資料館)の見学をしました。初めて見る私には、衝撃的な写真や映像であり、沖縄戦の凄さ・悲惨を感じました。夕方からは、「米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動として、与儀公園で喜納昌吉さんの「ミニ平和コンサート」「集会」「デモ行進(与儀公園⇒ひめゆり通り⇒国際通り⇒県庁前県民広場)」を行いました。喜納昌吉さんの平和に対する思いの凄さを感じました。また、デモ行進では、昨年の2倍にしたコースを約1時間行いアピールしました。

 今回、平和行動に参加したことにより、色々な経験・体験ができ良かったと思います。今後、多くの方が参加し、経験をしていただきたいと思います。

 最後になりますが、平和行動への参加機会を与えていただきました連合栃木に感謝申し上げます。また、一緒に行動した皆さまに感謝申し上げ報告とします。 

 

 

 

わたらせ地協 吉田 満 さん (UIゼンセン同盟関東労組サーモ支部)

 今回、はじめて、連合栃木(わたらせ地協割り当て)の派遣として平和行動(6月23日~25日)に参加しました。それは、緊張しつつ目の前にある季節的・気候的環境で年齢的・体的なものと照らし相当厳しい内容で組まれているスケジュールを見ながら待ち合わせ場所に向かい、気付くとの羽田空港第一ターミナルJALカウンター前に立っておりました。

 連合栃木から参加するメンバーと合流し13:30頃、沖縄:那覇空港に着いたのですが、ニュースでは午前中に梅雨明け宣言が発令され、カラットとした暑さをイメージしていたのですが、地元人から言われた暑さの表現は「沖縄の暑さは熱いのではなく刺す」のだと。その刺す暑さを味わい愚痴的感想を述べる間もなく、次の予定、那覇市民会館「2012平和オキナワ平和集会」に参加し、(主催者発表、参加者1400人強)1部で道下徳成(国際関係学博士) 先生の講義(変わりゆくアジア情勢と日本の対応)2部平和式典、沖縄戦で犠牲になられた御霊に黙祷を捧げ、古賀会長、仲村連合沖縄会長の歓迎挨拶、与世田副知事から来賓挨拶を享け、ところをホテル日航那覇グランドキャッスルに移し「平和交流会」の中で刺さる暑さを半日ではあるが経験をした身体を癒した。

 2日目は朝から[ピースフィールドワーク]として参加者全員がそれぞれ都道府県単位、同乗者はランダムに組まれ乗車し、Aコース=旧海軍司令部壕⇒嘉数高台(普天間基地)⇒ひめゆりの塔/資料館⇒平和祈念公園/資料館⇒与儀公園(集会会場)を8:30~17:30まで沖縄が経験した凄まじい戦争体験の説明を連合沖縄の仲間の皆さんから受けた。その後、与儀公園で嘉納昌吉のミニ平和コンサート、集会終了後デモ行進がひめゆり通り⇒国際通り⇒県庁前県民広場までをもって2日間の平和行動のスケジュールが終了した。

 二泊三日というある意味では沖縄の持つ重い歴史や語り継がれている戦争による多くの犠牲に対し、小生らが語るにあまりにも短すぎるのものかもしれません。沖縄の以外の皆さんとの意識の差は大きな違いがあると感じたことは強く思いました。

 そして、それは連合栃木から参加された皆さんとは産別・地域・年代の違いがあれど、今回の趣旨に対し共有できたと思っております。

 我々の平和を願うから叶える行動は今後も継続されて行かなければならないと思いますし、引き継がれて行くものと思いますが現地に触れ身近な環境から感じる乖離感はいかなる行動や運動をもって近づけていかなければ、想像される国内の将来的不安は解消されないものとあえて感想を申し述べさせて頂き関係者の皆さん、一緒に行動した中原さん、牧野さん、吉成さん、白土さんに感謝を申し上げ報告とさせて頂きます。 

 

連合栃木事務局 白土 光枝 さん

 私たち連合栃木の5名は、沖縄県那覇市にて開催された「平和オキナワ集会」「交流会」「ピースフィールドワーク」「ミニ平和コンサート」「集会」「デモ行進」に参加し、沖縄戦の実相と悲惨さ、平和の尊さを学び、米軍基地問題の解消を目指し、基地の整理縮小と日米地位協定の抜本的見直しを求めた。

 私がこの平和行動で特に印象的だったのは、南部戦跡を巡り再認識した、沖縄戦により約20万人もの尊い命が犠牲となりその約半数が民間人だったという事実。米軍上陸後、中部戦線で終わらず、時間稼ぎのため南部撤退が決定される。日本軍の死傷者は激増し、ひめゆりの悲劇は起こる。そして避難している多くの住民も戦闘に巻き込まれ、壕などの強制的な徴用、集団死などが起こる。連合沖縄青年委員会がピースガイドを務め、私達は各戦跡での詳細な説明を受け、生々しい遺留品・写真などの展示物や当時の映像・生存者の証言などから、悲惨な沖縄戦を学び、胸を痛め、平和への思いを強くした。

  また、この平和行動は、『「願う」平和から「叶える」平和へ。つながろうNIPPON!』をスローガンとしている。私はこの平和行動を通して、主催者側の連合、地元・連合沖縄、参加者側の各地方連合・各構成組織、そこに私たち連合栃木のメンバーも加わり、お互いに協力し合い、行動を共にし、学び、交流を持つ事により、同じ労働運動に携わる多くの仲間同士の繋がりを感じた。

 そして、今年は沖縄県の本土復帰40周年の節目の年になる。これからも恒久平和の実現を目指し、連合全体で訴え続けることの大切さを実感した。

  最後に、梅雨明け直後の猛暑の中での過密スケジュールにもかかわらず、協力し盛り上げていただいた参加者の皆さんに感謝申しあげます。ありがとうございました。 

 

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