平和行動in沖縄 参加者の感想(3名)

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「平和行動in沖縄」参加報告

宇河地協 大垣惠士さん (自治労・栃木県職員労働組合)

 6月23日(日)9時30分、2013連合平和行動in沖縄に参加するため羽田を飛び立ちました。天候は晴れ、低気圧の影響で途中飛行機が揺れたが快適な空の旅で沖縄に到着しました。滞在期間中、沖縄は梅雨も明け台風も去ったあとで雨も降らず気温も30度を少し超えたぐらいの気温で、また風もあってとても過ごしやすい毎日でした。

 さて、1日目は「2013平和オキナワ平和集会」に参加しました。第1部は、母が沖縄出身の作家の佐藤優氏の基調講演がありました。母は14歳にして軍属として看護に従事していたとのことです。沖縄戦を最初から最後まで軍徒と丸々一緒に行動して、前田・幸地の激戦では米軍のガス弾をくらったりとかもしたそうです。なまなましい戦争体験を語ってくださいました。「戦争により生死を分けるのは、偶然しかない」

 第2部は、平和式典が行なわれ、8月の「平和行動in広島」に向け、連合沖縄会長から連合広島会長にフラッグが手渡しされました。各県から連合代表者も壇上に上がって式典を盛り上げ、会場の参加者一体となって平和を願いました。

 2日目は、「ピース・フィールドワーク」が開催されました。連合栃木は、Cの戦跡コースに参加しました。バスの中では連合沖縄の方が、沖縄線や今回訪れる現地について説明してくれました。沖縄戦は、4月1日の米軍上陸から首里城の司令部までの首里以北の戦いが中部戦線、司令部が南部に撤退し首里以南の戦いを南部戦線に分けられているとのことです。南部戦線は、日本兵の残党がりで戦闘事体はゲリラ戦で大規模な組織戦はなかったようです。日本兵と住民が交じって避難していたため、多くの住民に犠牲が出たとのことでした。

 最初に日本軍の野戦病院として使われた「糸数アブチラガマ」を訪れました。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、600人以上の負傷兵がいたとのことでした。ガマの中に入ると、中は真っ暗で少しひんやりする感じがしました。地面はごつごつし歩きづらく、空気の流れも感じませんでした。ガマの中での看護活動は、臭いが充満しうめき声が聞こえ食料や医療品も充分で無かった状態であったようなので、想像以上の悲惨さであったと思う。ガマの中心部に軍医、中ほどに兵隊、入り口付近に住民、もっと外側に家畜や朝鮮人の居住区があったようです。説明者のことばで、「悲惨な状態でも差別はなくならない」が印象に残りました。

 次に、ひめゆりの塔を訪れました。ひめゆり平和記念資料館では、ひめゆり学徒隊員の戦争当時の状況を語った記録集があり戦争の悲惨さが感じられました。現在の中学生や高校生の年齢の子供たちが、軍部の命令で戦争に参加したため多くの犠牲者が出てしまった。ふと、NHKで放送されている大河ドラマの「八重の桜」の会津藩の状況を思い出しました。子供や女性までも戦いに利用したところや自害するところなどが、沖縄戦でも同じ過ちを繰り返されています。非訓練兵は犠牲が多いだけで、戦争では訓練された兵士には太刀打ちできないと思った。また、学徒動員の慰霊碑は、ひめゆりの塔以外にもあることも知りました。

 3箇所目は、魂魄之塔に訪れ黙とうを捧げました。戦後、住民の手で建てられた最初の慰霊塔とのことでした。慰霊塔を建てるのにも進駐軍の了解がいることを知って驚きました。魂魄之塔の周辺には、何県かの慰霊塔も建てられていました。

 最後に、平和記念公園に訪れました。「平和の礎」の鹿児島県の戦没者の名前の中に牛島中将沖縄司令官の名前も刻まれていました。「平和の礎」は、戦争で犠牲になったすべての人々の名前が刻まれているとのことでした。平和資料館では沖縄戦の状況が展示され、戦争の悲惨さが感じられました。平和学習のために栃木県にも常設の戦争資料館必要と思いました。「ピース・フィールドワーク」に参加して教科書の沖縄と現実が違うことを改めて理解すると共に、実際に当時の資料に直接ふれなければ分からない事が多いことも知りました。歴史は権力者によって都合のいいように変えられてしまうと思う。

 那覇に戻って、「在日米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」をもとめる行動」で全国の仲間と平和通りをデモをして、今回の「平和行動in沖縄」が終了となりました。

 今回、平和行動に参加したことにより、様々な経験・体験をすることができとても良かったと思います。沖縄の基地の経済効果は、現在は5%以下とのことです。観光収入が増えることが基地依存を減らし平和に近づくとの説明者の話があり、参加者5名は、夜の行動により少しは沖縄の平和に貢献できたのではと感じました。「泡盛50度2杯で100度、50+50=100?」

 最後になりますが、平和行動へ参加の機会を与えてくれた連合栃木、一緒に行動した各地協のみなさまに感謝を申し上げ報告とさせて頂きます。

 

那須地協 中塚英治さん(JAM・東京計器労働組合)

 平和行動in沖縄(6月23日~24日)に初めて参加させていただきました。第1日目は平和オキナワ集会および平和交流会へ参加しました。第2日目は朝から夕方にかけて現地視察学習(ピースフィールドワーク)として3コースある中から連合栃木は南部戦跡コース(糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、魂魄之塔、平和記念館)を視察し、夕方から「在日米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める集会、デモに参加しました。

 衝撃だったのは、ピースフィールドワークにおいて南部戦跡コース(糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、魂魄之塔、平和記念館)を視察したことです。特に糸数アブチラガマに入った時、現地のスタッフの方にその当時の様子を説明していただきましたが、その時の状況を思い浮かべると胸が非常に痛みました。そして何より今回のピースフィールドワークを通じて、今まで以上に平和への思いを強くしました。

 最後に、平和行動へ参加の機会を与えていただきました連合栃木に感謝申し上げます。また、一緒に行動した皆さまに感謝申し上げます。大変ありがとうございました。

  

芳賀地協 大久正樹さん(基幹労連・神戸製鋼労働組合アルミ・銅支部)

 第1部 基調講演 佐藤 優 氏 「在沖縄基地問題と構造的差別」

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 沖縄県出身で沖縄での戦争体験者である佐藤優氏のお母さんの悲惨な体験談や現在の沖縄県が抱えている米軍基地の騒音、事件事故問題、沖縄に掛かっている負担等を講演。

第2部 平和式典

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 この式典で沖縄戦では20万人の戦死者が出ておりその半数は一般住民が巻き込まれた事、当時の沖縄県人口の3割が犠牲になっている事などを知りました。沖縄県は日本国土の0.6%と小さな県ですが日本における米軍施設の75%を占め、沖縄県の面積の10%は米軍施設に占められており現在も騒音、事故など様々な問題を現在も抱えている。 式典で沖縄問題は、日本全体から見れば「足の小指の痛み」と表現されていましたが今後、身体全体で受け止めこの痛みを早急に和らげる必要性を強く感じました。

平和交流会 

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 沖縄県外より参加した連合約400人が琉球舞踊、沖縄民謡を鑑賞しながら交流を深めました。 

2日目:ピース・フィールドワーク

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①糸数アブチラガマ

 全長約300mのガマ(自然洞窟)で戦時中は陸軍病院の分室として使用されていた。ひめゆり学徒隊が配属されていたガマでありこの中で6000人以上の負傷兵が埋め尽くされていた。ほぼ当時のまま保存されており戦争の悲惨さを生々しく現在に伝えていました。

 

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②ひめゆり平和祈念資料館

 映画「ひめゆりの塔」で有名なひめゆり学徒隊の生存者で組織される「ひめゆり同窓会」で建設された。多くの資料とアニメーション映画よって当時の状況を詳しく解説している。激戦の中 ひめゆり学徒隊以外にも多くの学徒隊が動員させられ、1998名が戦死している。

 

③魂魄の塔

 沖縄県で最初に建設された慰霊碑で惨劇直後の1946年に住民、軍人、アメリカ兵と敵味方なく全ての犠牲者を祀っている。

 

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④平和祈念公園(資料館)

 戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、世界中の人々に沖縄の心の訴えと恒久平和の樹立に寄与するため1995年に設立された。

 亡くなられた20万人余の刻銘碑「平和の礎」、各都道府県慰霊塔・碑が建てられており栃木県出身で亡くなられた方の碑「栃木の塔」も敷地内に建てられていた。

 資料館には沖縄戦関係実物資料、写真パネル、証言文などが展示されており沖縄戦の実相を伝えていました。

 

「在日米軍基地の整理と縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動

 

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【 所 感 】

「2013平和行動in沖縄」に参加する前、私の沖縄県に関する知識と言えば日本最南端のリゾート地で米軍基地移設、新型輸送機オスプレイの強行配備等の問題が時々ニュースで取り上げられる。戦争に関しては「国内唯一の地上戦があり多くの方が犠牲となった。」この程度の知識しかありませんでした。

色々な戦跡、資料館などを見学し「戦争というものは人を狂わせる」と言う言葉で片付けるのではなく68年前の沖縄で、そして日本で何が起こったのかを学びそして伝える必要性を強く感じました。

講演で佐藤氏が「国家でなく、個人でもなく 中間団体や組織が力を持ち平和活動を進める必要がある。」と言われていました。今後も連合では平和活動を強力推進していただき恒久的平和に寄与して欲しいと思います。

 今回このような活動に参加させて頂きありがとうございました。

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