「2016平和行動in長崎」報告

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連合長崎平和行動in長崎に参加して

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UAゼンセンカンセキユニオン 高際 英俊

●8/8(月)「連合2016平和ナガサキ集会」(長崎県立総合体育館)参加

1945年8月9日、午前11時2分、長崎に原子爆弾が投下された日から71年を迎える。一瞬にして7万4千人余りの尊い命が奪われた。小学6年生(12歳)の時に被爆された「田川 博康」さんの体験談は筆舌に尽くしがたく、会場にいた3千人以上の聴衆全員が当時の悲惨な状況を思い浮かべた。両親が経営する工場は爆心地に近い所にあったため、救護の甲斐もなく両親とも数日後に亡くなった。当時12歳の田川さんは至る所にある死体をみて、状況が頭の中で理解できず「感情がなくなってしまった」と話された。そして、その後は戦争や原爆の出来事は誰にも話さず過ごしてきたと。しかしある時、田川さんのお孫さんから「おじいちゃんのお父さんはどんな人だったの?」と聞かれ、その時に自分の体験をみんなに伝え、「戦争の悲惨さ」や「平和の尊さ」を継承していかなければいけない使命を感じたと話されました。また、最後に会場にいる全員に向かって「平和のエリートになってください」と話されました。この意味は平和の継承を紡いでいくことであり、我々が次世代に伝えていかなければいけないと強く感じました。

●8/9(火)「被爆71周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」「連合ピース・ウォーク」「万灯(まんとう)流し」

神の愛と仏の慈悲を象徴し、高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉ざした目は原爆犠牲者の冥福を祈っているとされる「平和祈念像」の前で、2016年8月9日、午前11時2分、71年前に原子爆弾の犠牲になられた方々に対し、鎮魂の祈りを込めて黙祷をささげました。

71年前も今日のように暑かっただろう。その瞬間まで人々は語らい、笑い、そして息吹きがあったであろう。

爆心地の下の川では、被爆者の血と熱戦に焼かれた息絶えた人々の油が浮いていたといいます。それでも多くの人が水を求め飲んだそうです。中には水さえ飲めずに亡くなった方も多くいました。

平和記念式典会場の長崎平和公園に上がると最初に目に入ってくるのが「平和の泉」です。これは痛ましい霊に捧げて冥福を祈り、世界恒久平和を祈念するために建てられました。その絶え間なく湧き出てくる噴水をみていると、想像を絶する当時の状況を思い浮かべ目頭が熱くなるとともに、平和の尊さ、核兵器廃絶の思いを更に強く感じました。

今回の平和行動で「高校生平和大使」の存在を知りました。1998年から活動をしているということですが、これは核兵器廃絶と世界平和の実現を目指して、広島・長崎の声を世界に届ける活動をしています。具体的には広島・長崎・日本国民のメッセージを国連に訪問して世界に発信したり、核兵器廃絶の署名を国連に届けています。

初日の「ナガサキ平和集会」で代表の高校生から活動内容の報告がありました。非常に意識が高く、もっと世間に知らしめなければと思いました。勿論、参加者全員、署名と募金をしました。

最後になりますが、このような貴重な経験をさせていただいた連合栃木、宇河地協、また連合栃木吉成事務局長をはじめ一緒に同行させて頂きました参加の皆様に感謝申し上げます。

今後はこの経験を自分の周りの人や、次世代の人に伝え「平和のエリート」を目指していきたいと思います。

以上

 

NTT労組 小山分会  舟本 秀夫

 

長崎平和行動に参加する為、6年ぶりに長崎の地に足を踏み入れた私、出迎えたのは夏の暑い日差し、「とにかく暑い」の一言であった。往きの飛行機が遅れ、長崎駅からタクシーで直接長崎県立総合体育館に向かいました。

タクシーを降りると、「核兵器の廃絶と平和な世界の実現をめざす1万人署名」のお願いを高校生たちが、ありったけの声を出し署名を訴える、真剣な姿に感銘を受けました。集まった署名は、高校生平和大使が国連に手渡すとのことでした。

会場では、連合・KAKKIN・原水禁の三団体の共催で、「連合2016年平和ナガサキ大会」が開催されました。会場には全国・海外各団体が参列、神津連合会長が、「恒久平和の実現にむけて、核兵器廃絶への一歩を!と世界平和を訴える」と挨拶。その後、中村法道長崎知事、田上富久長崎市長などが核廃絶及び恒久平和を訴え挨拶しました。

被爆者の訴えでは、田川博康さんの被爆体験を聴きました。田川さんは、12歳のとき被爆して両親を亡くしました。被爆直後の田川さんの体験談は、お父さんの被爆による負傷した足の手術の話しでした。「原爆で焼け野原となり、医療器具がなくて、ノコギリで足を切断した」などと原爆の恐ろしさを強く訴え、「二度と核兵器を使用しない世界を望む」と訴えました。

2日目は、被爆71周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席しました。安部首相をはじめ、政府高官・各政党の代表などが出席し式典が始まり、田上長崎市長が長崎平和宣言の冒頭、「核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。」とのくだりから始まる極めてショッキングで、原爆の恐ろしさをストレートに表現、「そして、世界各国のリーダーや世界中の皆様に長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間になにが起きたかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。」と訴えました。

私は、爆心地および長崎平和公園、原爆資料館などの原爆の遺構を巡り、特に資料館では、黒焦げになってしまった子供の遺体、一面焼け野原になってしまった長崎市内の惨状など、実際にこんな事がこの地で起きたのか信じ難く、また、ただただ目を覆うばかりの展示物の数々に、しばし唖然としてしまいました。とともに怒りをも覚えました。

最後に、連合長崎平和行動に参加して、私は、あらためて核兵器の怖さ恐ろしさを実感し、二度と戦争を起こさない、核兵器が使用されない、平和な社会がいつまでも続くことを願いました。そして、自分を見つめなおす貴重な機会を与えていただいたことに感謝申し上げ報告とします。

以上

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