平和な世界を子や孫に ~平和行動in長崎報告~

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JR総連 (東日本旅客鉄道労働組合 宇都宮支部) 柴田 誠一

去る8月8日~10日、2泊3日の行程で「2017平和行動in長崎」に参加させていただきました。出発前は台風5号が日本に接近・上陸し、長崎まで飛行機が飛ぶのか心配でしたが、若干の遅れはありましたが無事長崎に到着する事ができました。

まず、「連合2017平和ナガサキ集会」に参加してきました。会場となった長崎県立総合体育館のメインアリーナは数多くの参加者(主催者発表2953名)で埋め尽くされ熱気あふれる集会となりました。まず、オープニングでは綺麗な音色のハンドベルにて、「さとうきび畑」「ふるさと」「長崎の鐘」の3曲の演奏から始まり、主催者・来賓の方々の挨拶をいただき、また被爆者の方のお話を伺い、改めて戦争や原爆の恐ろしさを感じる事ができました。その中で特に残った言葉は「1945年8月9日11時02分以降三度人の上に「核」が落ちていない。人類最後の犠牲は長崎で終わらせなければならない。」ということです。被爆者の方々も高齢となり懸念されていたのは、広島・長崎で起きた事を風化させてはならない事です。本年7月7日に史上初めて「法的に核兵器を禁止する」ことを目的とした「核兵器禁止条約」が国連で採択されましたが、核兵器保有国と非保有国との温度差は歴然で、なかなか核兵器廃絶への道は厳しいと感じました。そんな中、「ビリョクだけどムリョクじゃない!」と訴える高校生平和大使の22名が8月19日にスイス・ジュネーブの国連欧州本部に行き、高校生1万人署名や核兵器廃絶のスピーチを行ってくることを知り、「若い人がこれだけ頑張っているのに私たち大人にも出来る事をしていかなければ」と核兵器廃絶に向けての運動の必要性を強く感じました。

9日は長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列してきました。安倍首相も参列して行われた式典は心配された天気も何とか持ちこたえ、11時02分の町中に響き渡るサイレンと共に、17万5743名の原爆死没者に対し黙とうを捧げてきました。その後長崎市長による「長崎平和宣言」、被爆者代表による「平和への誓い」、来賓挨拶など式典は滞りなく進みました。式典終了後は連合長崎のピースガイドによる「ピースウオーク」に参加し、今でも残る当時の史跡等をめぐり学習してきました。また当日予定されていた万灯流しは、天候不順の為残念ですが中止となってしまいました。

最後に今回の平和行動に参加させて頂き、戦争の悲惨さを再認識する事ができました。今、日本はまた戦争の出来る国へと変わろうとしていますが、戦争のない平和な社会を子供や孫たちに残していきたいと強く感じました。この貴重な体験をさせていただいた関係各位の皆様、そして一緒に参加した皆様、ありがとうございました。

 

 

JAM・東京計器労働組合那須 土屋 省司

長崎平和行動に参加するため、初めて長崎を訪れました。空港から外に出ると、曇りのわりには気温が高く、とにかく暑いと感じました。空港からバスに乗りホテルに向い、荷物を置いた後、「連合2017平和ナガサキ集会」の開催される長崎県立総合体育館に向いました。

体育館に到着すると、高校生たちが、「核兵器の廃絶と平和な世界の実現をめざす1万人署名」や「平和基金」の募金活動を行っていました。戦争を知らない子供たちが、一生懸命声を出して活動を行っている姿に感銘を受けました。

集会は、連合長崎の森光一会長の開会のあいさつから、主催者を代表して連合の逢見直人事務局次長、来賓として中村法道長崎県知事、加藤邦彦長崎副市長、海外来賓としてITCUのヤーブ・ヴィーネン書記次長が、核兵器廃絶及び恒久平和を訴え挨拶しました。

被爆者の訴えでは、丸田和男さん(当時13歳)の被爆体験を聴きました。丸田さんは、当時、倒壊した家の下敷きとなり、渾身の力を振り絞って倒壊した家から抜け出し、逃げる途中で近所の人から母の死を知らされたそうです。同級生も100余名が犠牲となり、現在も背中に約10ヶ所、ガラス傷が残っているそうです。原爆で命を奪われた仲間の死を思うと、今でも胸が張り裂けそうになり、このような悲劇が二度と繰り返してはならないと、強く訴えました。

次の日は、「被爆72周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に出席しました。安倍首相をはじめ、政府高官・各政党の代表などが出席し式典が始まりました。田上富久長崎市長が長崎平和宣言の冒頭、「ノーモア ヒバクシャ」という言葉を述べました。この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものだそうです。この願いが、世界の多くの国々動かし、この夏一つの条約(核兵器禁止条約)を生み出したとのことです。被爆者が永年積み重ねてきた努力がようやく形になったということで、慶びもひとしおだったと思います。

しかし、世界にはまだまだ核兵器があります。核兵器廃絶と恒久平和に向け、田上富久長崎市長は、冒頭の「ノーモア ヒバクシャ」から始まり、「世界各国のリーダーの皆さん、被爆地を訪れてください。遠い原子雲の視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてください」と訴えました。

式典後は、爆心地及び平和公園、原爆資料館など原爆の遺構を巡りました。浦上天主堂の遺壁、被爆当時の地層そして、資料館に保管されている展示物の数々を見て、実際に起きたことなのか信じ難く、原爆の恐ろしさを痛感しました。

最後に、連合平和行動に参加して、改めて核兵器の怖さ恐ろしさを痛感しました。そして、核兵器廃絶と恒久平和を強く願いました。戦争を知らない私にとって、これからの人生を見つめ直す貴重な経験でした。連合栃木をはじめ、一緒に同行してくださった参加者の皆様に感謝申し上げます。

 

 

電機連合(松井松山労働組合) 豆生田 勉

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連合栃木事務局 白土 光枝

被爆72年を迎える2017平和行動in長崎は、「語り継ぐ戦争の実相と運動の継続で 核兵器廃絶と恒久平和の実現を」をテーマに、8月8日から始まった。

初日は、『連合 2017平和ナガサキ集会』が長崎県立総合体育館に於いて行われた。

ハンドベルによるオープニングに続き、主催者代表挨拶・来賓挨拶の後、当時13歳の被爆者、丸田氏から被爆の様子とその後の体験談が熱く語られ、この様な悲劇が二度と繰り返されてはならないとのメッセージがあった。

その後、「平和アピール」が行われた。その内容は、「7万4千人余りの尊い命が一瞬にして奪われ、72年が経過した今もなお放射能障害に苦しんでいる人達がいる。そして、核兵器は世界中に1万4,900発も存在し、その脅威から解放されていない。本年初めて法的に核兵器を禁止することを目的とした「核兵器禁止条約」が国連で採択された。私達は心からこれを歓迎するが、交渉に参加しなかった日本政府は、唯一の戦争被爆国としての責任を果たすべきである。核兵器保有国と非保有国との橋渡し役として、条約の速やかな発効に向け各国に働きかけることを強く要請する。そして、核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現を目指していくことを宣言する」といったものだった。

続いて、「ピースフラッグリレー」、最後に参加者全員で合唱しフィナーレとなった。

翌日は、戦争の悲惨さを語り継ぐ祈念の地、平和公園内の平和記念像前にて、長崎市主催『長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』が開催された。

式辞、献水、献花、黙祷などの後、世界にむけて「長崎平和宣言」が行われた。

その後、当時16歳だった深堀氏から「平和への誓い」として、辛い体験や思いを、身体の奥底から絞り出すような震える声でしっかりと誓った。その内容は参列者の胸を打ち、涙を誘うもので、会場には大きな暖かい拍手が長く響き渡っていた。最後に、学生による合唱があり、被爆者の方々のご冥福を祈り、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを誓った。

午後には、連合長崎青年委員会のガイドによる『ピース・ウォーク』が行われ、平和公園及び周辺地域の史跡、原爆資料館等を巡り、原爆投下から今に至る街の歴史を学んだ。

その後に予定されていた『万灯流し』は天候不良のため中止となり残念だったものの、私は、栃木からの参加者5名の仲間と共に、蒸し暑い中、複雑な地形の長崎を見て歩き、72年前の惨劇に思いを巡らせ、異国情緒あふれる街並みが、長い年月をかけ再建・復興していったことを身をもって実感した。

そして、日本として国際社会での担うべき役割を考え、連合として他団体と協力し運動を続けることの大切さを再認識し、私自身も、些細ではあるがこの体験と思いを後世に繋げていこうと決意を新たにし、有意義な平和行動となった。

 

 

連合栃木事務局 櫻井 柚里

8月8日から10日、長崎県長崎市内において「語り継ぐ戦争の実相と運動の継続で核兵器廃絶と恒久平和の実現を」をテーマに、連合2017平和行動in長崎が開催されました。

まず8日に行われた連合長崎主催の平和ナガサキ集会では、ハンドベルの演奏から始まり、被爆体験者の丸田さんから当時の被爆の様子、体験談が語られました。また、全国から集まった高校生平和大使のメンバーが「ビリョクだけどムリョクじゃない」を合言葉に、今までの活動の報告、また、自分たちが8月19日にスイス・ジュネーブの国連欧州本部へ行き、世界に平和を訴えていくという決意表明をしました。集会の最後には参加者全員で「For The Peace Of World」を合唱し、終了しました。

 

翌日9日の長崎市主催「長崎原爆死没者慰霊式典」では朝から天候の崩れがありましたが、式典開始時には雨もやみ、少しですが晴れ間が見えました。原爆の投下された11時02分に原爆死没者へ黙祷を捧げ、長崎市長からの平和宣言、被爆代表者の深堀さんの平和の誓い、来賓あいさつ等が行われました。

式典に続き、連合長崎青年委員会のガイドによるピースウォークに参加。ピースウォークでは原爆爆心地から出発し、爆心地周辺と平和公園、原爆資料館などの史跡を見学しました。

 

私は戦争、原爆について、授業で数時間学んだ程度でした。今回の平和行動で被爆体験者の方の話を聞き、現地や資料館での当時の原爆の威力、被害を実際に見たことはとても貴重な体験になりました。

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